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カテゴリ:不思議( 12 )

コワいのもTPO次第

 
以前ここでも申しましたように
私が最も恐怖するものは、ゴキブリであります(→ 過去記事
幼少時の体験によるトラウマが
齢50をこえて尚、私を苦しませます・・・(><)


私はずっと集合住宅住まいです。
いくら私が対策を練ろうとも
集合住宅の常で、完全にゴキブリを駆除することはできません。
私の視界に入らないだけで
今もどこかに潜んでいるに違いないのであります。

それ自体は理解しているのですが
でも、せめて私のテリトリーからだけでも、彼らを極力排除することに余念がありません。
一年を通してゴキブリ駆除剤は定期的に交換します。
生ゴミは出来るだけ頻繁に捨てるようにしています。
決して潔癖症ではありませんが
一応自宅は常に掃除して、それなりにキレイにしているつもりです。
・・・それでも数年に一度くらい「彼」は姿を見せます (><)

以前、ダウンタウンの松本さんが仰ってました。
曰く
「自宅マンションにゴキブリが出たから引っ越した」
その所以は
「オレは “ 独り暮らし ” がしたいんや!」

・・・さすがに引っ越すまではいきませんが
松本さんの考えには、まったくもって同感なのであります。

            ♢

一方で
私のお仕事の性格上、ときにゴキブリと対面せざるを得ない状況に遭遇します。

病院や施設でお亡くなりになられた方のケースではまず無いのですが
ご自宅でお亡くなりになられた方
特に独居の方だったり、死後すぐに発見されなかった方などの場合「彼ら」と遭遇する可能性は高まります。

実際、もう何度もそんな現場に出くわしたものです。
それも「彼」ではなく「彼ら」。
ひどい状況ですと「彼ら」という複数形の数は、おびただしいものです。
“ 二桁 ” ではありません。間違いなく “ 三桁 ” です。
薄暗い部屋の床一面に、黒いじゅうたんがうごめく現場にも何度も遭遇しました。
私にとって、阿鼻叫喚の図に違いないのです (><)

・・・しかしながら
これは自分でも不思議なことなのですが、そういう場面での「彼ら」のことは、まったく(怖い)とか(気持ち悪い)とか思わないんです。
もちろん大ッキライなことに変わりないのですが
なんというか、そもそも意に介さない感じなんですね。
気持ちのベクトルがそっちに向いていないというか。
視界に入っていないわけではなく
浜辺のフナ虫よろしく、踏み入れる一足ごとに八方に散る彼らのことも認識しています。
(こういう現場の際はビニールのシューズカバーをつけて入ります)
でも、不思議と「どうでもいい」。
いま、すべきことに集中しているということなのでしょうか・・・


自宅で、たった一匹のゴキブリが現れただけで一気にフリーズする私。
しばし硬直した後
いかにして「彼」を仕留めるかに全神経を集中する私。
何とか仕留めた後も
その日一日は気が気でないまま夜を過ごすのに
お仕事の現場で遭遇すると、ヘッチャラなのが自分でも不思議なのであります。






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by dscorp-japan | 2016-08-30 00:00 | 不思議 | Comments(8)

ご本人にしか分かりませんが

 
葬儀依頼をいただいたお客様と打ち合わせが終わった後
本題とは異なった四方山話をお聞きすることが少なくありません。

「真夜中なのに大変なお仕事ですね」
という問いかけもあれば
「葬儀屋さんって儲かるんでしょ?
ウチからは儲けないでネ」
などというツッコミ(?)もあったりします ^^;

一方で
しばしばお聞きするのが、お亡くなりになられた方の最期に関するお話です。

「長い闘病生活だったけれど、最期は穏やかに旅立ちました」
「最後に桜の花を見られて何よりでした」

そんなお話のなかに
ちょっとだけ不思議な、というか
少なくともご家族にとっては、単なる偶然と片付けられない(或いは片付けたくない)ようなお話もあります。

よくお聞きするのが
「(本人は)私たちが駆けつけるのを待ってくれた」
というもの。
第三者にとっては単なる偶然であっても
当事者であるご家族にしてみれば、それはそれは大切なエピソードです。
ご家族の仰る通り
ご本人は、本当に待っていて下さったのかもしれないのですから。


昨日、私が担当させていただいたお客様からもお聞きしました。

「もう長い間ずっと、母は意識が混濁していたんです」

お亡くなりになられた方は、齢90を超えたお婆様。
いわゆる認知症の類の病を患われていたとお聞きしました。

「朦朧とする意識のなか
母はずっと、顔をしかめながら病と闘っていました。
そして亡くなった当日のお昼頃
それまでずっと苦しそうに顔をしかめていた母が、突然穏やかな顔になって言ったんです。
『ありがとうね』って。
そして、すぅっと涙を流したんです。
そのまま、母は逝きました・・・」


・・・これも単なる偶然なのでしょうか。
「自分の死期を悟るなんてことはあり得ない」と、はたして断定できましょうか・・・

            ♢

以前ここで取り上げました本『人は死なない』を読みますと
医療の現場では、同様の事象が頻繁に見られるようです。
そしてそれらの事象を、お医者様でいらっしゃる著者・矢作直樹先生自ら
「理由は分からないけれど、そうした事象はたしかにある」
と仰います。

https://www.youtube.com/watch?v=HLVeGlGYdEw

個人的には
この矢作先生の見解すべてに同意するところではありません。
ただ好感が持てると思うのは
矢作先生は「生」に対しても「死」に対しても、謙虚さが感じられるところです。

            ♢

私は葬儀屋さんです。
人間が亡くなる瞬間に立ち会うということはまずありません。
ただ
当事者として、そうしたご経験をされた方々からのお話を聞く機会は多いと思います。
私にお話し下さった多くの方々が皆、口裏を合わせたようにウソを仰っているなら別ですが
これまでにお聞きしたお話には、あまりにも多くの共通点があるんですね。
そして、そうしたお話を聞くにつけ
(どうも「死んだらすべて終わり」ってわけでもなさそうだぞ)
(やっぱりどうやら、神か仏か知らんが、何かが存在してるんじゃない?)
と思わされるのです。

・・・まァ
その答えは(亡くなった)本人にしか分からないんですけどネ。
でも、だからこそ
私は人の死に対して、常に謙遜でいなければと思うのであります m(_ _)m







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by dscorp-japan | 2014-12-10 00:00 | 不思議 | Comments(0)

小説『ジェノサイド』から連想する、ひとつの “ 可能性 ”

 
さて。
今回の記事は、先日読了した小説『ジェノサイド』に描かれている内容から連想できることについて書いてみようと思います。

※ この記事では原作の「ネタばれ」が含まれると思いますので
  これから『ジェノサイド』を読もうという方は飛ばしちゃってください m(_ _)m



ということで。
先日の感想でも申し述べましたが
本作はミステリー小説として(或いはエンターテインメント小説として)間違いなく一級品の作品です。
ただそのストーリーの根幹には、少々SF的な概念というか考え方があります。

(ここからネタばれ)

この「SF的概念」というのが
「人類の突然変異による進化」というものです。

本作内において
アフリカで生活するピグミーと呼ばれる人々の間から、突然変異的に、現存する人類をはるかに凌駕する高い知能を兼ね備えた子どもが生まれます。
物語の中で、その「彼」は弱冠3歳です。
その「彼」はすでに言語をマスターし、コンピューターを自在に操ります。
私たちには解明できていない病気の治療のための、新薬開発ソフトまで作り上げてしまいます。
戦術、戦略を立てることにも長けています。
不完全な私たち人類の
欲望や利己的思考を逆手にとって、私たちを嘲笑うかのように「試し」ます。
私たちを「試し」つつ、どう転んでも自分が勝利するプランを考えだします。

まさに超越した人類です。
私たち “ 普通の ” 人類が束になっても決して敵わない存在。
良しにつけ悪しにつけ
これまで私たちが執ってきた、地球という星のイニシアチブを譲ることにさえなり得る存在。

また
この子どもの容姿が、いかにも宇宙人的(特に『グレイ』と呼ばれる宇宙人)な描写なんですよ。
頭部が大きく
大きく見開いた眼はつり上がり
手足は華奢
・・・といった感じなんですね。


と、ここで私たちは思い至るわけです。

「私たちが宇宙人と認識する存在は、実はこの進化した人類じゃないのか」と。

つまり
私たちが「宇宙人」と認識してきた存在は私たちの子孫だった、と。

本作で提示されるSF的概念から
古くから言われる都市伝説的テーマ(「宇宙人は実在するのか」)の、ひとつの可能性を見出すわけです。

下々の私たちは知らされていないだけで
実はすでに超越した人類は現実に誕生していて、その彼らは政府の庇護の元、自分たちの開発した乗り物(UFO)に乗って活動を始めている、と。
或いは「UFO=タイムマシン説」を考えるなら
未来の地球のイニシアチブを執っているのは「彼ら」で、その彼らが自分たちの作ったタイムマシン(UFO)に乗って、過去である私たちの時代に来ている、と。

よく言うじゃないですか。
「歴史的イベントの場面にはUFOがよく見かけられる」って。
キリスト教的なことで言えば
「(コンクラーベによる)新(ローマ)教皇選出の際にもUFOが飛んでいた」とか
「イエスの磔刑の場面でUFOが見られた」とか
            ↓
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デチャニ修道院(セルビア正教会)のフレスコ画


こういうのって
「(彼らにとっての)過去の歴史的事件やイベントを検証するため(或いは観光?)未来人がタイムマシンに乗ってやってきたのだ」
って解釈があるらしいですよね。

あくまでもSF大前提なんですけど
妙に説得力があるといえばある、ような気がするところもある。


・・・まァね
こういうお話って夢があるじゃないですか ♪
小説から連想(というか妄想)を膨らませるのもまた一興ということで m(_ _)m





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by dscorp-japan | 2014-09-05 00:00 | 不思議 | Comments(2)

2012年12月21日

 
巷で話題の『マヤの予言』。
たしか今日、ですよね・・・?


正直
私はあまり気にかけておりません。
そんなことよりも
今日、担当させていただいているご葬儀が無事に執り行われることの方が大切です。

私、葬儀屋さんですから・・・(照)

            ♢

それでも敢えて
世の中で数多囁かれる “ 終末予言 ” について少しだけ私見を述べさせていただきます。
中国じゃこんなヒドイ事件も起きていると聞きますし・・・(怒)


かなり昔
とある書物で読んだことがあるんです。
とは申しましても
その書物もまた「聖母マリアの御出現」に関するものだったんですけどネ・・・
私の記憶が正しければ
この書物を手にした当時は『ファティマ第三の予言』をはじめとする、聖母マリアの御出現とか予言などが注目を集めていたように思います。

どこに御出現された聖母だったのか
申し訳ありませんが、もう忘れてしまいました。
もちろんその書物の信憑性についても、保証できるものではありません・・・ m(_ _)m
御出現自体の信憑性もまた然り、です。

ただ
そこに御出現された(とされる)聖母マリアは、このように仰ったと記されていました。
(但しその文言は私の記憶に頼ったものであることをご了承ください)

「いつ終末の日がやってくるのかについて、具体的日時を特定する予言に注意しなさい。
何故なら
世の終わりがいつ訪れるのか、私は知らないからです。
イエスもまたそれを知りません。
それを知るのは父なる神のみだからです」



重ねて申します。
その書物自体も
聖母マリアの御出現についても
マリア様の語ったとされる言葉についても
その信憑性を保証するものではありません。

ただひとつ。
聖母マリアが語った(?)とされる
「世の終わりの日がいつなのか、私は知らない」という言葉には、大きな意味があるように思います。

・・・多分、その通りなのだと私は思います。

聖書にも記されています。

『その日、その時は、だれも知らない。
天使たちも子も知らない。
ただ、父だけがご存じである。』
(マタイによる福音書・24章36節)


ならば
私たちはどのように生きましょうか。
『マヤの予言』に対する回答は、マルティン・ルターが端的に提示しています。

「たとえ明日世界が滅びるとしても、今日私はりんごの木を植える」



然るに
私は今日のご葬儀に専心させていただくだけであります m(_ _)m
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by dscorp-japan | 2012-12-21 00:00 | 不思議 | Comments(0)

それは奇蹟か偶然か:追記

 
一昨日に書いた記事『それは奇蹟か偶然か』について
ごく内輪的にではありますが、幾名かの方との会話で話題になったんですね・・・
もりもりさん、ゆきたんくさんからも丁寧なコメントをいただきました)


私がお聞きした事実関係は以下の通り。

死に直面したご本人の為
ご家族からのご依頼により、ご本人が所属されていたカトリック教会の神父様が病院に向かわれました。
病院のベッドの横で、神父様はカトリック教会の七つの秘跡のひとつである『病者の塗油(終油の秘跡)』を授けられました。
そこにはもちろんご家族も同席され、病院の担当医も立ち合われたのだそうです。
・・・秘跡の祈りが終わったまさにその瞬間、ご本人の心拍数がゼロになったそうです。
そして
立ち合われたお医者様が死亡確認をされたとのことでした。


この偶然と呼ぶにはあまりにも不思議な事実をお聞きして
私は私なりに、思うところを述べさせていただいた次第であります。

そして私はこの記事のなかで
「真実がどちらかなんてことは大した問題じゃない」と申し上げました。
私のこの表現について、少々補足させていただきたいと思います。

            ♢

ここで
故人様についてさらに知り得た背景を、公表できる範囲内で記します。

故人様の御子息には、カトリック司祭がいらっしゃいました。
「いらっしゃいました」というのはつまり、その神父様はお母様よりも先に、すでに帰天(=亡くなられた)されたのです。
・・・故人様は神父様のお母様、なんです。

また一方で、葬儀ミサ・告別式でのご遺族代表からのご挨拶ではこんなお話も伺えました。
「母は、少なくとも私を叱ることはまずありませんでした。
幼少の私が何をしても、本当に、決して叱ることがなかったんです。
ただ
神様を大切にしないこと、お祈りをないがしろにすることだけは別でした。
その点だけは、本当に厳しく教えられました」

故人様はそういう方だったということです。


・・・私は今回のことについて考えるとき
まさに死に直面していた、ご本人ご自身の立場になって考えたいと思うのです。


起こった事象だけを捉えたとき
それはもりもりさんの仰るように
故人様は、本当に神父様からの秘跡を待っていらっしゃったのかもしれません。
ゆきたんくさんの仰るように
神様の大いなる奇蹟が故人様の上に起こったのかもしれません。
ある方は
「息子である神父様が迎えに来てくれたのだ」と仰いました。
・・・或いは
やはりそれは時間的偶然なのだ、と捉える方もいらっしゃるのでしょう。


大切なことは
病床にあったご本人が、どのように感じられて死を迎えられたのか、ということだと思うのです。

上に記しました通り
故人様は生涯を通して、その生活すべてにおいて、まさに信仰の人でした。
おそらく
生活全般における事象のすべてを、神様のご意思と受け止められつつ過ごされたのではないでしょうか。
良い出来事もそうでない出来事も
全部ひっくるめて「神様の恵み」として捉えられていらっしゃったのだと思います。
・・・まるで
疑うことを知らない、子どものように。

そのように考えたとき
故人様の死の瞬間は、何と幸福に満ちた瞬間だったことでしょう・・・!
神様の慈しみとしての秘跡を授けられ
すべての罪から解放され
すべてを神様の御手に委ねられたのですから。

その瞬間はまさに
映画『汚れなき悪戯』のクライマックスそのものではありませんか!


本当のところは、故人様ご本人だけが知るところなのです。
でも
私たちがどう捉えようと、結局のところ、おそらくすべてが真実なんです。
ご本人が神父様を待っていらっしゃったことも
ご本人の上に神様の奇蹟が起こったことも
御子息である神父様が迎えに来られたことも
時間的偶然さえも・・・

全部、神様がなさったことなのです。

だから
私たちの捉える真実が何であるかは「大した問題じゃない」と申し上げたんです。
(誤解も招く表現でしたことをお詫び申し上げます)
・・・私が
「目の前で起こった事実を、真摯に、謙虚に受け止めることだ」と申し上げたのは、そういうことなんです。

            ♢

最後に
お通夜が行われた日曜日(主日)に朗読された福音書について。

(前略)
イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。
弟子たちはこの人々を叱った。
しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。
「子供たちをわたしのところに来させなさい。
妨げてはならない。
神の国はこのような者たちのものである。
はっきり言っておく。
子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」
そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。
(マルコによる福音10:13‐16)


・・・イエス様が仰る「本当の信仰のあり方」がここに記されているとすれば
この聖書の箇所はまさに、故人様のことを仰っているのではないでしょうか。

故人様のお通夜が執り行われたこの日
全世界のカトリック教会で朗読されたのが、この箇所だった。

これもまた単なる偶然・・・?
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by dscorp-japan | 2012-10-10 00:00 | 不思議 | Comments(6)

それは奇蹟か偶然か

 
今日は忙しいので簡単に・・・ m(_ _)m



昨日から今日にかけて私が担当させていただいておりますお葬式。
亡くなられたとの御一報をいただいたのが金曜日の夕刻でした。
いつもお世話になり、また司牧者としても尊敬する神父様からのお電話でした。

「今、電話大丈夫?
あのネ
今私は病院で、とある方の病者の塗油のお祈りをしていたのね。
すでにかなり危険な状態とのことだったんだけど・・・
私の拙いお祈りが終わった瞬間、心停止されたんだよね。
ビックリしたんだけど・・・お葬式をお願いできるかなァ」

『病者の塗油(とゆ)』
カトリック教会で定められるところの、七つの秘跡のうちのひとつです。
以前は『終油(しゅうゆ)の秘跡』と呼ばれていました。
闘病中の方、重篤な状態にある方の病状回復(或いは苦痛の緩和)を祈るものです。
            ↓
「あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。
信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。
その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます」
(ヤコブ5.14-15)


しかし
その祈りが終わった瞬間にお亡くなりになられたというのも、珍しいことではあるかと思います。
故人様は91歳。
91年の生涯を終えられる、まさにその時が『病者の塗油』を受けられた瞬間だったということです。


さて。
これを単なる偶然と捉えるか、奇蹟と捉えるか。
或いは
ご本人が、お祈りが終わるまでは何とか持ちこたえられたのか・・・
真実なんて誰にも分かりません。
ある方は偶然と仰るでしょうし、ある方は「これこそ奇蹟だ」と声高に仰るのでしょう。

・・・私は
真実がどちらかなんてことは、大した問題じゃないと思っています。
大切なことは
目の前で起こった事実を、真摯に、謙虚に受け止めることだと思います。


ご遺族様との打ち合わせを終えた後
臨終に立ち会われた神父様と、しばし二人っきりでお話させていただきました。

「いいんだよ、奇蹟で」

私もそう思います。

・・・何となれば
この世で起こる全ての事象には必ず何らかの意味があって
その意味するところには必ず神様の意思が隠されていて
つまり、森羅万象すべて奇蹟である、という考え方も出来るのですから。



さて。
今日は日が明けたらお葬式、です・・・
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by dscorp-japan | 2012-10-08 00:10 | 不思議 | Comments(4)

臨終前の「お迎え」

 
或いは既に皆様もこの記事(或いは番組)をご覧になったかもしれません。

参照記事:
天国からの“お迎え” ~穏やかな看取り(みとり)とは~(NHKオンライン)


「自宅でみとられた人の4割が体験し
そのうち8割が死の恐れや不安から解放されたというこの現象について、日本初の学術調査が進められています」
とのことです・・・

            ♢

この現象について
お医者様は基本的にこれを「幻覚」と位置付けていらっしゃるようです。
しかしおそらく
実際に「お迎え現象」を体験された当事者(或いはそのご家族など)は、これを現実に起こった出来事と捉えられていらっしゃるのでしょうね・・・

私個人の考えとしては
ご本人が「見た」と仰るんだから、少なくともそれを否定するつもりはありません。
それが「幻覚」なのか「現実」なのかという議論は、あまりしたくないなァという思いです。

ただ
お迎え現象で現れたとされる、亡くなられた方々のことを「幽霊」とは言いたくない。
私の中の幽霊の定義は
「生きている人を惑わすだけの怪しい存在」だから。
亡くなった方の魂がこの世に残って
生きている人を怖がらせたり惑わせたりするという、その意味が私には分かりません。
以前にも書きましたが
仮にそんなことがあるのなら、神様の “ 職務怠慢 ” です(笑汗)
或いは本当に「幽霊」という存在がいるとしたら
私はそれら全部亡くなられた方の魂などではなくて、人間とは別の、もっと邪悪な存在だと思っています。

一方で
亡くなられた方が病床にある方を安心させるために本当に現れたというのなら、それはあり得るのかもしれません(私のなかではそういう存在は「幽霊」ではありませんから)
キリスト教的にみても
聖書にはそうした超自然的な出来事は山のように記載されていますし。

            ♢

私もいつの日か、死を迎えることになります。
死ぬこと自体を怖いと思ったことはないのですが、やはりその過程に対する不安はありますよね。
やっぱり痛いのや苦しいのはイヤですもん・・・(汗)
でも
誰もが必ず通る「死の門」を通ることから逃げられないのなら
すでに死を体験された方の存在を間近に感じられれば、それだけでもかなり不安は払拭できるような気がします。

・・・ただ問題は
私のようなロクデナシに、果たして「お迎え現象」として現れてくれるような奇特なご先祖様がいらっしゃるのかどうか、ということではあります・・・(大汗)
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by dscorp-japan | 2012-09-08 00:10 | 不思議 | Comments(2)

13日の金曜日だァ~

今日は8月13日。
金曜日でございます~♪

『13日の金曜日=縁起の悪い日』
この俗説について、皆さんの中に誤解をされている方がいらっしゃるかと思いますので。

キーワードとなる「金曜日」と「13」という数字。
日本人はこれすべて、欧米諸国の精神的基盤である「キリスト教」に起因するものとお考えのようですが・・・

まず「金曜日」について。

キリスト教的根拠として
「イエス・キリストが十字架に架けられたのが金曜日であるから」というのがあります。
たしかにキリスト教会は金曜日を「受難の日」と捉えています。
しかしその“受難”というのは私たちに対してのものではなく「イエス・キリストが私たち人類の罪の贖い(あがない)の為に進んで受難に向かわれた」と考えられているのであって、その意味合いからすれば「縁起が悪い」というよりもむしろ、私たちの「救いの為の日」ということができます。

次に「13」という数字。

イエス・キリストの磔刑の日を「13日の金曜日」である、と考える方がいらっしゃるようですが
「金曜日」ではあっても、聖書に「13日」という記述はありません。
ではどこに由来するのか。
「イエスの弟子の13番目が、裏切り者とされる『イスカリオテのユダ』だから」
これも間違いです。
たしかにイスカリオテのユダはイエスを裏切りましたが、イエスの弟子(12使徒)は、イスカリオテのユダを含めて12名です。
敢えて「13」にこだわるのであれば、イエスご自身を人数に加えることになります。
ダヴィンチ・コードで有名になった『最後の晩餐』を見ても分かるように、イエスを含めた13人で食卓を囲んでいます。
しかし、そこに「13」を不吉とする根拠は存在しません・・・

つまり
「13日の金曜日は縁起の悪い」という根拠に、キリスト教はほぼ無関係と言っていいのではないでしょうか。

            ♢

北欧の神話に起因するとされる説だとか
テンプル騎士団がフィリップ4世によって逮捕されたのが1307年10月13日の金曜日だったとか
或いは
そもそも「13」という数字が悪魔崇拝者たちにとっての聖なる数字だからとか
諸説あるわけです。

でも結局
日本人が「4」とか「9」を、「し(=死)」「く(=苦)」という音によって忌み嫌う、というレベルと同じお話じゃないでしょうかね・・・

大体ですよ
13日の金曜日に生まれた方だっていらっしゃるわけですよ。
おそらく、今日も世界のどこかで、新たな尊い命がこの世に産み落とされるはずなんです。
それを「縁起が悪い」なんて言うのは、ナンセンス極まりないことでしょう・・・?
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by dscorp-japan | 2010-08-13 01:08 | 不思議 | Comments(4)

御遺族に“憑依”??

私が担当したお客様ではありませんが
以前お世話になっていた葬儀社で、こんなことがありました。

ある方のお葬式が葬儀社の会館で執り行われ、故人様は無事火葬場へと御出棺されました。
少なくとも名古屋界隈においては、会館でお葬式をされるお客様の殆どは、故人様が荼毘に付されました後に今一度お葬式をした会館に戻ってこられます。
ここで初七日を済ませてしまうわけです。

お戻りになった御遺族様方々
少々お疲れ(勿論お悲しみもあります)の表情で会館に戻ってこられました。
そのまま初七日法要の会場へお進みいただき、御住職による読経が始まりました。

担当者は読経の様子を、法要会場の片隅で見守っていたのですが・・・

読経が始まってしばらくして
御遺族のお一人が、何やら落ち着かない様子でした。
この方は若い女性の方だったのですが(担当者によると)後ろから見ていると、椅子に腰かけたまま、上半身をユラユラと円を描くように動かし始めたそうです。

(御気分でも悪くされたのか?)
担当者はそう思って、そばに近寄ってお声をかけようとしたその時

うぉ~・・・
うぁぁ~・・・!


唸り声のような、低い音が聞こえてきたのでした・・・

最初は、ホール内の空調設備の稼働する音かと思ったそうです。
しかしその音は、段々大きく聞こえてくる・・・
そしてその音の出所は、どう考えてもその女性から聞こえてきたのです。

うぁぁ~~!
あぁぁ~~!!


これはただ事じゃない・・・
かといって、どうにも近寄りがたい雰囲気が・・・
参列されていた他の御遺族様方々も、奇異なものを見る目でその女性を見始めました。

すると
その女性は突然すっくと立ちあがったかと思うと

「オレはまだ逝かん!」

とても女性の声とは思えないようなダミ声で叫び始めたのです・・・!

さすがに御遺族様方々もうろたえ始めます。
御本人の母親と思しき方が手を差し伸べると、女性はその手を振り払って暴れ出しました。
こりゃイカンということで
担当者をはじめ、参列者の男性が数名で取り押さえ、落ち着くのを待ちました・・・


結果的にはそれで落ち着いたそうなのですが
こういうことってあるんですね・・・

            ♢

私個人としては
故人様の霊がこういう騒ぎを起こしたとは考えにくいんです。
その女性が『自己暗示』にかかってしまったのか
或いは故人様の霊とは別の、何か悪いものが一時的にこの女性に“悪さ”をしたのか・・・

ただ滑稽だったのは
御経を挙げている御住職、終始知らん顔で御経を続けたという・・・(汗)

・・・この御住職の御経・・・
効果ないじゃん?

・・・ま、お経の効果のほどは置いておいて
不思議なことがありました、というお話でした。
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by dscorp-japan | 2010-08-03 23:00 | 不思議 | Comments(3)

映画『フォース・カインド』を観て思うこと

結構期待して観てしまいました(恥)

・・・え?
・・・(恥)ってどういうこと?・・・
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“ネタばれ”込みですのでご了承くださいm(_ _)m

ズバリ『エイリアンによるアブダクション(拉致)モノ』です。
映画としてのスタンスは『ノンフィクション』『ドキュメンタリー』ということです。

実在の心理カウンセラー・アビゲイル・タイラーさんの役をミラ・ジョヴォヴィッチさんが演じてます。
(ご本人とミラさん、似ても似つかない・・・タイプ的にはジュリアン・ムーアさんの方がずっと似てるし雰囲気もありますな)
タイラーさんが暮らすアラスカはノームという町で次々と起こる怪現象。
これを解き明かすべく、住民の皆さんに催眠療法を施して、その原因を探ろうとすると・・・

CMなんかでもやってました“例の”おかしな映像が撮影されてしまったという。
でも、それら映像にしたって肝心なところは画像が乱れるという、ある意味“お約束”的シロモノ(汗)
川口浩探検隊擁する『水曜スペシャル』の方が、ずっと潔い。

本物か偽物かは別にして、映画としては至極つまらん。
もしこのお話が実話だったなら、この映画は逆効果です。
この映画を観て(あぁ~、やっぱり宇宙人はいねェな)と納得される方は多いのでは・・・?

            ♢

さて
果たして『宇宙人はいるのか否か?』
幼少の頃は私も無条件に信じてました。
「こんなに広い宇宙の中で、ちっぽけな地球にだけ生命体がいるなんて絶対におかしい!」
ところが歳を重ねるにつれて
マスコミやらから得られる情報を見るにつけ、どうも眉ツバ感が増すばかりというか・・・
取りあげられるエイリアンさんたち、殆ど悪役じゃないですか(汗)
せいぜい『未知との遭遇』とか『E.T.』くらいでしょ。
なぁんでワシらより文明が発達した方々が、その倫理観はワシらと変わらない(或いはワシら以下)んですかね?
「宇宙人なんていない!」
っていうんじゃないんです。
ただ、宇宙には“悪役”エイリアンさんたちしかいないわけなの?・・・って。

一説によると
近々アメリカなんかは、UFOだとか宇宙人だとかに関する極秘情報を開示するとかしないとか。
正直、個人的には「どうでもいい」ですわ。
いようといまいと、私たち人間にはもっと大切な課題が山積してるでしょう?って。
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by dscorp-japan | 2010-04-21 01:04 | 不思議 | Comments(0)
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
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