一人前の葬儀屋さん。
この業界で、一人前の葬儀屋さんになるにはどれだけの時間と経験が必要か。
無論、業務上覚えなくてはならないことは多々あります。
でも、それが出来たら「一人前」とは思えません。
私は、自分の大切な存在を亡くすという経験を経てはじめて、本当の葬儀屋さんになれるのだと思っています。
「自分の大切な存在」
それは家族でなくてはならないわけではありません。
友人、恩人、先輩、恋人、愛したペット・・・
そうした「大切な」存在を亡くすことではじめて、失った人間の心の「痛み」を知るのです。
その「痛み」を経て、あらためて故人に対する尊厳を感じるのです。
表向きで「ご愁傷さまでした」ということは簡単です。
はっきり言えば、演技だって出来るんです。
私がこの業界に身を置くようになって数年経ったとき、私の大切な方を亡くしました。
その方は、前カトリック名古屋教区長・アロイジオ・相馬信夫司教様です。
相馬司教様は私にとって、二人目のお父さんでした。
若い頃から可愛がってくださり、一緒に旅行に行ったり、悩んだときには相談にものって下さいました。
(私が人に相談をすることって、本当に稀なんです)
あのとき私は、親が死んでもあんなには泣かないだろうというくらい泣きました。
ものすごく辛かった。
・・・あのとき、私は(一応)いっぱしの葬儀屋さんになれたのだと思っています・・・。
久し振りに聞いた響き・・・
会いたいなぁ~。
多くの方が「相馬司教様は聖人だ」と仰います。
私も激しく同意。
きっと今頃天国で、仲の良かったと言われる故ヨハネ・パウロ二世と仲良くお話していることでしょう♪