都合よく解釈しちゃえ(笑)
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「祈る間、実は居眠り」って
それを何と、ローマ教皇フランシスコご自身が告白した、というのです。
・・・へぇ~
寝ても良いんだぁ~ ♪
そもそも私は超ド級の不良信者ですから
自分の勝手な都合でしか祈ることなんてございません。
お願い事があるときとか
自分がちょっとへヴィな状況に陥ったときとか
そんなときしか祈ったりしません。
たまに祈るときだって
大体がベッドの中で眠りに就く前とかなわけで
そりゃ~ね、寝る体制で祈るなんて、ものの数分で “ 落ちる ” わけですよ。
気付いたら翌朝ですし。
・・・さすがにパパ様も
私のような状況を指して是認していらっしゃるわけではないと思うのですが・・・
♢
その昔
私の畏友:西経一神父様はこんなことを仰いました。
「日曜の朝、教会のミサに来ている信徒たちを見ると
結構 “ 舟をこいでる ” 人がいるんだよ。
でもオレはそれを微笑ましく思う。
貴重な休日に
疲れた身体に鞭打って、眠い目をこすり
わざわざ教会まで足を運んでミサに与るんだぞ。
オレは
そうやって身体と時間を割いて『教会に来る』という行為自体が尊いと思うんだ。
その行為こそが『祈り』なんだよ」
・・・私の勝手な解釈ですが
もしかするとパパ様もまた、私たちに同じようなことを問いかけて下さっているのではないのかなぁと思ったりするんです。
祈ること自体よりも
(祈ろう)と考え、これを行動に移すことこそが尊いのだと仰っているような気がするんです。
>キリスト教徒は父親の腕に抱かれた子供のような心境に達することが求められると説明し
>居眠りしやすい状況にあると示唆した。
・・・お叱りを受けるかもしれませんが
私には、それって後付けの言い訳っぽく聞こえてしまうわけで
ホントは「祈る行為に睡魔は付き物でっせ!」って仰ってる気がしたりします ^^;
でも
「それでもいいんだよ。
眠くなっても、寝てしまってもいい。
それでもいいから祈りなさい」
と仰っているように私には受け取れたんですが・・・
・・・どうなんでしょ。
私の身勝手な解釈なんでしょうかね・・・(^^ゞ
>>ホントは「祈る行為に睡魔は付き物でっせ!」って仰ってる気がしたりします ^^;>>>>