ロボット導師、ですか
「ご導師、ご入場でございます。
本日読経を賜りますのは、真宗大谷派・Pepper導師様です。
ご参列の皆様方におかれましては、御低頭の上お迎えくださいませ」
・・・とか、開式のときにアナウンスされるのかなァ ^^;
→ ニュース記事はコチラ
・・・このニュース記事のタイトルを見て
ピンクレディーのデビュー曲を思い出したのは私だけ? ^^;
一方で
コンセプトの元ネタが『ロボット刑事K』じゃないかと疑ったのも私だけ? ^^;
大切な方を亡くされたご家族それぞれ、様々なご事情がお有りかと思います。
ニュース記事にもありますように
菩提寺の無い方や檀家制度にとらわれたくない方など、たしかにいらっしゃることでしょう。
しかし、そこでいきなりPepper君が導師、ですか。
“ 彼 ”のアノ声で、ですか?
「お葬式の多様化」は、もはや変えることのできない潮流なのでしょう。
私もさまざまなお葬式の様式があって良いと思いますし
今後さらに、これまでの形式にとらわれない形で送りたい(或いは送られたい)というニーズも増えていくことなのでしょうね。
私は今回のニュースにある新しい提案を、完全に否定するつもりはありません。
そこにたしかなニーズがあるのであれば
その存在価値もまた有るということなのでしょうから。
でも、私が古い人間だからなのでしょうか
どうしても違和感を拭い去ることが出来ない思いがあります・・・
現在の私はキリスト教専門の葬儀屋さんですから
仏教のご住職やお上人様の読経や説法をお聞きする機会は殆どありません。
あるとすれば、知人やお世話になった方のお葬式に参列したときくらい。
とはいえ
これでも一応、約1000件あまりの仏式葬儀をお手伝いしてきた人間です。
そういう立場からすると
お葬式の際、ご導師が唱えられる読経や説法を拝聴するときは
(このご住職の読経は美しいなァ)
とか
(このご住職は本当に心をこめてお勤めいただいているなァ)
とか
(なるほど、故人やご家族のことをよく考えた説法をされているなァ)
とか
比較してしまうというか、そういう視点で判断してしまうところがあります。
私が現場で受ける印象がご遺族のそれと同じかは分かりませんが
司式者としてのご導師によって、そのお葬式に対する評価が大きく左右されるところだと思うわけです。
たとえ、ですよ?
どんなダメ葬儀屋さんのお手伝いだろうと、祭壇が汚れていようと
(もちろんそれはそれで絶対ダメなんですけど)
ご導師の素晴らしい読経や説法ひとつで、そのお葬式は一気に素晴らしいお葬式に変わるものなんです。
これだけは間違いない。
それだけ
お葬式を司る立場のご導師の存在って、大きいと思うんです。
・・・そこにPepper導師が来るんですか。
う~ん ^^;
ニュース記事では
「ちゃんと人間の副住職がいる」そうじゃないですか。
だったら
わざわざPepper君に読経させるのではなく、副住職が導師をした方が良いんじゃないの?とか思っちゃいますよね。
「副住職は住職ではない!」
じゃPepper君は住職なんですか?
なんだかよく分からないなぁ・・・
私もやや “ 茶番 ” のように感じてしまうところはあります。