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雑誌『AERA』8月7日号を読んで

 
娯楽小説一辺倒の私ですから
『AERA』なんて雑誌、滅多に手に取らないんですが・・・


表紙にこんな文言が謳われてると、そりゃさすがに手に取りますわね~

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・・・やっぱ要りませんか、お葬式 ^^;


「お葬式はもういらない」という表現から
名(迷)著『葬式は、要らない』を上梓された“アノ人”からケンカを売られたような気持ちで、仕方なくレジに持っていきましたよ。

(売られたケンカだもんなァ、受けて立つしかないかぁ~)

・・・で、読んでみたらやっぱり!
アノ人のコラム記事も載ってました・・・^^;


表紙には「大特集」とありますが
読んでみると、それほど「大」でもありませんでした(笑)
個人的な印象ではむしろ「小特集」くらいです。
もっといろんな情報が詰まっていると思っていたんですが。

それぞれの表題には、なかなかインパクトがあります。

「古い葬式よ さようなら」
「仏教ビッグバン」
「価格破壊のお葬式」
「お坊さん便も定着」
「葬儀も明るく個性的に」
「色鮮やかなLED仏」・・・

(ご興味のお有りの方は書店にGO!)

でも敢えて申しますが
正直、あまり有益な情報が書かれているとは思われませんでした。
仏教が岐路に立たされていて、様々な打開策を模索(&実践)されているというお話は興味深く拝読させていただきましたが
それ以外の記事に目新しいものは無かったと思います。


ホントはいろんな項目の記事に反論したいことが山ほどあるんですけれど
今回は敢えて、特集内にあった、例のアノ方のコラム記事にだけモノ申させていただきます (^^ゞ

            ↓

「0葬」唱える島田裕己さんが語るお葬式『大往生』で亡くなった人は葬儀ではなく、お祝いを


「お祝い」という単語を用いること自体は構いません。
でも、じゃ大往生されたご本人の為に
遺されたご家族はお葬式の代わりに、一体何をすればいいんでしょう?
「葬儀ではなくお祝いを」と仰る以上
お葬式とは異なる、何か具体的な提案があるのかといえば何もないし。

そしてご本人のご希望である「卒人式」。
ご本人による造語ありきのご提案としか思えないのですが・・・^^;
「人間を無事に終わりましたと、お祝いをしてもらう」って
やはりこの場合も、遺されたご家族やご友人は具体的にどのように「卒人式」すればいいのでしょう?

・・・何となくですが
仰っているイメージは「無宗教葬」や「お別れ会」と何ら変わらないと思うのですが。



実際にお葬式の現場に立つ人間として申します。
奇をてらう必要などなくとも
これまで通りのお葬式でも「お祝い」することは出来ます。
事実、これまで故人様を「お祝い」するお葬式を何度もお手伝いしてきております。
それが「卒人式」かどうかは分かりませんけれど
大切な人の「大往生」に際して、やはりその死を悼みながらも

「長らくお疲れさまでした」
「これまで本当にありがとう」
「今日は笑顔で『さようなら』だね!」

泣き笑いの顔で
最後には「よかったよかった」とご遺族が口々に語りあうお葬式を、私は十分「お祝い」と言えると思います。


さらに申しますと
どれだけ「大往生」だろうと「お祝い」だろうと
「大切な人が亡くなった」という現実の前に、人はやはり厳粛な思いになるものだと思いますし、またその思いを忘れてはいけないのだと思います。

お葬式のカタチに捕らわれる必要はありません。
でも
「お葬式」という名称を変えたところで
或いはそこで行われる式の内容が大きく変わったところで
(たとえそこでケーキカットをしようがクラッカーを鳴らそうが)
そこに集うご家族や友人知人の「思い」は何も変わることなどないのです。


私は
大切な人が亡くなって、故人と交わりのあった方々が時間を割いて故人の元に集った時点で、それはすでに「お葬式」だと思っております。
何故なら
「お葬式」とは、人の「思い」だからです。






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by dscorp-japan | 2017-08-06 00:00 | 葬儀 | Comments(8)
Commented at 2017-08-06 17:18 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by 牧政 at 2017-08-07 01:19 x
>東日本では遺骨をすべて持ち帰る「全骨収骨」なのに対し、西日本は「部分収骨」で、全体の3分の1程度
>しか持ち帰らず、残りは火葬場などが処理しています。0葬だと遺骨は残らず、墓を建てる必要もありませ>ん。
教皇庁教理省、死者の埋葬および火葬の場合の遺灰の保管に関する指針
教皇庁教理省『死者の埋葬および火葬の場合の遺灰の保管に関する指針
(Ad resurgendum cum Christo)』の日本の教会での適応について
上記、カトリック中央協議会HPより
あくまでも、カトリック教会は死者の尊厳を、どうゆう形においても目に見える形で残す、と言う事です。
Commented by pga2152 at 2017-08-07 01:20
この男は最大限の警戒が必要です。この男は、オウムを称賛し伝統宗教を破壊しようとする様な男です。東京のある葬儀会社の社長とTwitter上でバトルをしている位です。東京のある葬儀会社の社長は、信頼出来ます。
Commented by ゆきたんく at 2017-08-09 06:09 x
「その死を悼みながらも」
これがなくてはならないでしょう。
Commented by dscorp-japan at 2017-08-11 17:53
☀******さん。
実際にご本人からケンカを売られたわけじゃないんですけれどね~ (^^ゞ
Commented by dscorp-japan at 2017-08-11 17:55
☀牧政さん。
>カトリック教会は死者の尊厳を、どうゆう形においても目に見える形で残す

「忘れないため」
「思い起こすため」
ということなのでしょうね。
Commented by dscorp-japan at 2017-08-11 17:57
☀pga2152さん。
私は島田氏の、これまでの活動や考え方を殊更に批判するつもりはありません。
ただ、ことお葬式に関する考え方だけはどうしても賛同致しかねるので、敢えて記事にしたまでです。
Commented by dscorp-japan at 2017-08-11 18:00
☀ゆきたんくさん。
まさに仰る通りです。
「悼む心」とはつまり「死者の尊厳」ということなのだと思います。
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
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