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私は何故、司祭職の道を諦めたのか(前篇)

 
・・・とある方よりご質問がありましたので。

っていうか
ただ何とな~く(なりたいかも)と思ったくらいで「目指していた」「志していた」なんて言葉にするのもおこがましいわけですよ。
だから自分自身
「諦めた」と言うほど真剣だったのかも分かりませんしね。

・・・まァね
先に結論から申しますと「煩悩を断ち切れなかった」ということですよ、ハイ・・・


私の場合
何となく(神父になりたいかも)と思ったのが、高校三年の頃だったと記憶します。
地元じゃそこそこの進学校といわれる高校に進学したものの
私の場合、実技四教科の内申点で滑り込めたようなものですから、高校に入ってからはずっと地上スレスレの低空飛行だったわけです(笑)
元々勉強なんて大ッキライだったし
好きな音楽をやったり聴いたりして、好きなお絵描きをして、のんびり楽しいことだけやって過ごしたかったわけです(つまり今と一緒!)

そんななか(一応)多感なお年頃だった私は
「人間の幸福とは何ぞや」とか「生きる意味とは?」とか、生意気にも薄っぺらな哲学的なことを考えるようになりました。
学校帰りには毎日のように本屋さんに行っては哲学っぽいことが書かれてる本を読み漁ったりしてまして
そのうちに今度はいろんな宗教の本を読むようになりました。

私は “ ボンクリ(Born Christian=幼児洗礼) ” のカトリックでしたが
それまでは殆ど教会にも行っておりませんでした。
幽霊部員ならぬ “ 幽霊信者 ” でありました。
自分の洗礼名が「ペトロ」ということだけ認識していて、あとはカトリックに対して何ら思い入れもなかったわけです。
ところが様々な宗教の本を(あくまでも薄っぺらァ~く、ですが)読み漁っているなかで
(やっぱオレ、カトリックが良いや ♪)と思うに至ったわけです。
それ以降
こんどは当時の自宅からほど近い教会のミサに通うようになりました。
(それが今も私の所属する『カトリック布池教会』であります)
ミサに出ていても最初は何のこっちゃさっぱり分かりませんでしたが
通い詰めるうちに、私なりに少しずつ理解していったんだと思います。

青臭い当時の私のなかには
常に「罪の意識」というのがありました。
その罪にもいろいろあったわけですが
私のいちばんの罪の意識というか、自分には「他者を心から愛する心が欠けている」という思いがありました。
元々が冷めた人間だという自覚がありましたし
本来大切であるべき家族に対しても、それほどの思い入れも持てませんでした。
人並みに好きな女の子もいたりしましたけれど
それとて(ただの性欲の対象なんじゃないか?)という自問がありました。

・・・悶々と考えるなか
いつしか私は(罪深い自分を変えたい)という思いが強くなっていったのでした・・・

(続く)






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by dscorp-japan | 2017-07-25 00:12 | あったこと | Comments(4)
Commented at 2017-07-25 19:50 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by pga2152 at 2017-07-26 00:37
私も、洗礼を受ける前に司祭職も考えてましたが、やはり煩悩がネックでした。
Commented by dscorp-japan at 2017-07-27 19:35
☀******さん。
どうってことない話なんですが
まぁ後編をご一読いただき笑ってやってください (^^ゞ
Commented by dscorp-japan at 2017-07-27 19:36
☀pga2152さん。
やっぱり最後は「煩悩」ですよね・・・
line

これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
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