猛省
私どもが様々な教会へお邪魔してお葬式のお手伝いをさせていただいたとき
式場となる教会所属の信者の皆様から、よくお掛けいただくお言葉。
「私のときもよろしくね!」
誤解を恐れずに申しますなら
葬儀屋さんとしては、この上なく有難いお言葉なのです。
私たちのお手伝いに対して、最低限の及第点はいただけたものと解釈できるからです。
もちろんお世辞の可能性も否定ないのですが。
このようなお声をかけていただいた際、私はよくこうお答えします。
「そのように仰る方は、10年後も20年後もお会いして同じことを仰るんですよ」
これはあながち嘘ではなくて
実際、このようにお声をかけていただける方の多くが、10年前も今も大変お元気でいらっしゃいます。
「私のときもよろしくね!」
「ほらね?10年前も同じことを仰っていたじゃないですか」
「あら、そうだったかしら」
ここでしばし、平和な笑いが起きるわけです。
♢
今から約半年前
とある教会で、同じようにお声をかけていただいた方がありました。
「私のときもよろしくね!」
それはそれはお元気なお声で
満面の笑顔でお声をかけていただいたのです。
そして私はおこたえしました。
「そのように仰る方は~」
・・・この後のお話、おそらくお分かりかと思います。
先日、その方が亡くなられたとの連絡をいただいたのでした。
打ち合わせの際にご遺族からお聞きしましたところ
あの半年前、その方にはすでに余命宣告がされていたのでした。
しかもそのことをご本人もご承知されていらっしゃったのだと。
・・・私は大いに反省をしなくてはなりません。
半年前のあのとき
私が軽々におこたえした返答が、いかにご本人にお辛いものだったことでしょう・・・
半年前のやり取りをご遺族に正直にお話しして
そのうえでご遺族の皆様に謝罪させていただきました。
ご遺族のおひとりが仰いました。
「母から聞いてますよ」
申し訳ない思いで、顔が紅潮するのがわかりました。
「その節は有難うございました。
母はそのときのことを嬉しそうに話してたんですよ。
『葬儀屋さんが言うんだから、ホントに病気が治るかも』って」
・・・もう、ほんとうに、心から、恐縮するしかありませんでした・・・
生前のご本人が何と仰ろうとも
ご遺族様がどのように受け取られようとも
葬儀屋さんとして、あまりにも配慮が足りない言葉だったことは間違いないのです。
何と無責任な言葉だったでしょう・・・
もう二度と言わない。
私は大バカ者なので、いつもの癖で口から出てしまいそうだけれど
しっかりと胸に叩きこもうと思います。
そしてその時には、周りにおられた皆さんと一緒にわはは~と笑いました。
半年前、その方もその会話で心が和んだのではないでしょうか。
そんなにご自分を責めなくてもいいと思います。
だって、そのことばは無責任からではなく、岡田さんのやさしさから出たことばなんですから。
慰めていただき有難うございます m(_ _)m
しかし
言葉というのは難しいものでして、相手が私の意図するところを理解していただけない場合も想定されますので、そのあたりは気を付けなければならないと思います。
ご来訪&コメントを有難うございます m(_ _)m
また私などのことを慰めていただき、恐縮です。
突き詰めたところの問題は
発言者である私が、他ならぬ「葬儀屋さんであるということ」です。
この業界にいない私であれば良いのでしょうが
“ 人の死を生業とする ” 葬儀屋が発言した場合、その意味は一気に深くなるような気がするんですよね・・・