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『隣人愛』

 
今更ながら『隣人愛』。

この言葉を額面通りに理解すると
「身近な人に対する愛情(とその行い)」といった意味かと思います。
「あなたの身近な人には優しく愛情を持って接しましょうね~」ということですね。

「ふむ、そりゃそうだ。
そうあるべきだし、そうありたいものだ」

・・・そう考えはしても
それで終わり、といえば終わり。

でも
その本質的な理解って、なかなか出来てなかったりします。
いや、もちろん私だってそんなもんですけどね・・・ (^^ゞ

            ♢

これは、とあるカトリック司祭のお話です。

その神父様は以前
名古屋の、とある地域のご老人たちを集めて聖書のお勉強会を開いていらっしゃいました。
これはその神父様の完全なプライベートな取り組みでありました。
参加者のご老人は年を追うごとに増え続け
最終的には50名を超えるほどのご老人が、その神父様のお話を聞くのを楽しみに集まっていらっしゃいました。
そしてそのご老人たちのなかには
貯蓄もなく収入もないことから、生活保護を受給しながら細々と暮らしていらっしゃる方もありました。
神父様はそれら生活保護受給者であるご老人たちに
ご自身のお金で安い食材を買い込んでは渡していらっしゃったんです。
何年もの間、ずっと。
私は、何度もその買い物に付き合ったことがありました。
時には私もカンパしようとしたのですが
彼は頑なにそれを拒否しました。

「これはオレの気持ちなんだ。
お前はお前の方法で考えろ」

ある日、その神父様が私に言いました。
「ご同業(つまり神父様)から
『そんな風に周りに施していても際限がないでしょう。
すべての人を助けることなんて出来やしないのに』って言われちゃったよ」

たしかに
ひとりの人間が他者に「奉仕する」「施す」ことには限界がありますよね。
同業者の神父様が仰ることも一理あります。

「でもな
オレはオレの目に触れる、オレの周りにいる人を助けるのみなんだ。
『際限がない』からといって諦めたら、誰も何もしないじゃないか。
それが『隣人愛』ってもんだろ」

そのときはじめて
私は『隣人愛』という言葉の本質を、少しだけ理解できたような気がしたのでした。
それまでの私は
「自分の周りの人には優しく愛情を持て」などと言われても
(じゃ~自分の周りの人以外の人はどうなんだ?不公平じゃねェか)
などと考えたものです。

・・・でも、そうじゃないんですね。
私たちひとりひとりが
私たちの周りにいる人たちに対してだけでもいいから
困っている人に、私たちそれぞれのやり方で手を差しのべればいいんですよね。
そしてその輪が広がることで
最終的に「誰もが助け合い、助けられる」世界が生まれるということなんですね。

1人の人間に出来ることの限界を考える必要などない。
私たち皆が、1人の人間として出来ることをすればいい。

            ♢

何故このようなお話をするかと申しますと
昨日私がお手伝いさせていただいたご葬儀で、ご遺族代表の方によるご会葬御礼のお話がこれに似たお話だったのでした。

その故人様は児童養護施設『麦の穂学園』の会長・横川満雄様でした。
横川様は若かりし頃、カトリック司祭になる希望をお持ちだったとのことです。
しかしながら健康上の理由でそれが叶わず
ならばということで、行き届いた環境にない子どもたちの支援に乗り出されたということです。

ご挨拶されたのは
満雄様のご長男であり『麦の穂学園』の園長でいらっしゃる横川 聖様でした。

「父が常に大切にしていたことは『隣人愛』でありました」

親に見捨てられたお子さんや
親との関係が芳しくない環境にあるお子さんはたくさんいます。
そのすべてのお子さんを助けることが出来れば良いのですが
児童養護施設とは申しましても、その支援に限界はあります。
すべての子どもたちが充分な支援を受けることが難しい状況もあるでしょう。

支援を受けられる子と、そうでない子。
そこに不公平は生まれる。
では、支援を諦めるのか。

・・・そうじゃないんですね。

横川満雄先生は
ご自分の出来る限りのことを、ただ精一杯なさったのです。
それがご自分の役割だと、固く信じて邁進なさってこられたのです。
『隣人愛』の輪が広がることに希望を持って
その(敢えて申しますが)小さな担い手のひとりとして
目の前にいる子どもたちひとりひとりに手を差しのべ続けられたのです・・・


横川満雄先生のお柩には
小さな園児たちがクレヨンで書いた、拙い、しかしとても尊いお手紙が入れられました。

それはまぎれもなく
「お父さん」「おじいちゃん」へのお手紙だったのでした。






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by dscorp-japan | 2016-10-26 00:00 | キリスト教 | Comments(8)
Commented by ルビー at 2016-10-26 00:21 x
随分とご無沙汰して申し訳ありません。
変な日本語ですねぇ~(書き直せばいいのにね)
とても良いお話を聞いて心がホットしました。
それぞれが手を伸ばした範囲でできれば輪は大きくなって
行きますものね。
災害時にもそういう風になれるようになりたいです。
Commented by pga2152 at 2016-10-26 14:35
pga2152です。隣人愛は、必要だと思います。現代社会は、隣人との交流が全くありません。これは、問題です。
Commented by 牧政 at 2016-10-27 01:18 x
教皇フランシスコは「いつくしみの特別聖年公布の大勅書」の中に「身体的な慈善のわざと精神的な慈善のわざにについてじっくりと缶げえてくださること」が「わたしの心からの願いです」と、強調されて言われています。お情け,慈悲、哀れぬ、憐れむ、憫れむ、とは違う次元の主張です。イエズス様の言葉であります。横川先生の永遠の安息を祈ります。
Commented by フルち at 2016-10-27 09:41 x
父の葬儀の時に、山口神父から、「隣人を愛しなさい」という言葉をいただきました。
隣人とは自分の目の前にいる人(他人でも知人でも)。
愛しなさいとは手を差しのべること。
その言葉を大事に過ごしていきたいです。
Commented by dscorp-japan at 2016-10-28 14:11
☀ルビーさん。
お元気そうで何よりです ♪

>災害時にもそういう風になれるように
まさにそういうことなのだと思います!
それぞれが自分の出来ることで他者に手を差しのべる「輪」が広がると良いですよね。
Commented by dscorp-japan at 2016-10-28 14:13
☀pga2152さん。
>現代社会は、隣人との交流が全くありません
仰る通りですね。
まずは「声をかけ合うこと」。
その第一歩が「挨拶」なのだと思います。
Commented by dscorp-japan at 2016-10-28 14:15
☀牧政さん。
パパ様の云わんとすることを
私もまたじっくりと噛みしめたいと思います。
Commented by dscorp-japan at 2016-10-28 14:17
☀フルちさん。
その後、元気でやってますか?
トールペイントは続けてますか?

>愛しなさいとは手を差しのべること
その通りですね。
行動の伴う「愛」こそが、キリスト教のいう「隣人愛」ということなのでしょう。
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


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