D’s(ディーズ)さんのぶろぐ

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お葬式を通しての「救い」

 
・・・もう明日から聖週間(受難週)なんですね。

早いなァ~

・・・って感じるということはつまり
四旬節を四旬節らしく過ごしていなかった、ということなんでしょうね ^^;
「安穏と、ただ何となァ~く過ごしてた」ということなのかもしれません。

じゃ
自分の生活を見直すかというと・・・
多分しない。

(イカンなァ)
と、頭じゃ一応思うんだけど
心から反省するかというと・・・
やっぱり多分しない。

所詮、私のようなダメ信者はこの程度のもんです (^^ゞ

            ♢

ところで。

キリスト教葬儀のご依頼をいただき
お客様と打ち合わせをさせていただく際、よくお聞きすること。

「恥ずかしながら私たち
洗礼は受けてるんですけれど、まったく教会には行っておりませんでして・・・」

葬儀屋さんである私たちにでさえ、申し訳なさそうに告白される方。
・・・結構いらっしゃるんですね。

「どうぞお気になさらないでください」

当然、このようにお答えしますよね。
私のようなダメ信者が、お客様を非難することなど出来るわけもないのですから。

むしろ私は
これまで教会から離れていらっしゃった方が、大切な方のお葬式を「キリスト教会で」とご判断されたことの意味を考えたいと思います。

たとえば
こんなふうに考えられる方があるかもしれません。

「今じゃ教会への思い入れなど無いけれど
それでもウチは一応キリスト教だから」
「祈りの言葉も忘れてしまったけれど
せめて冠婚葬祭くらいは教会で」

もっと現実的に考える方もあるかも。

「キリスト教葬儀の方が安かったから」

・・・しかし一方で
このように仰るお客様も少なくないのです。

「私たちはずっと教会から遠ざかっておりました。
正直、信仰心の欠片もないかもしれません。
でも病気が発覚して「死」を身近に感じるに及んで、本人が言ったんです。
『自分のお葬式は是非教会で』と」


極論で申しますなら
これまでの生活なんて、どうだっていいんじゃないでしょうか。
いや
ホントに「どうだっていい」ということではなくて
「そういう生活をしてきてしまったのなら仕方がない」ということです。
「でも」
それでもきっと神様は赦して下さるよ、ってことです。

きっかけなんて何でもいい。
その理由でさえ何だっていい。
「お葬式というきっかけを通して、再び教会に目を向けた」という事実を大切にしたいと思うんです。


私どもの社名の由来である『デュスマス(ディスマス)』のお話。

このデュスマスについて、ひねくれた見方をすれば
「散々悪いことしておいて
最後の最後になって、イエス様に助けを求めてるだけの人じゃないか」
という解釈が出来ないこともありません。

・・・デュスマスの本心は
イエス様と本人にしか分かりません。
しかしいずれにせよ、イエス様は仰ったのです。
「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と。

これこそが「神の愛」だと思うんです。
我儘で身勝手な私たちに対する「神の救いの業」だと思うんです。
だから私たちは
「デュスマス」の頭文字を社名『ディーズ(D's)』としたんです。

回心の機会は
まさに死の瞬間まで残されているのだと。
或いは死後であってさえ
お葬式を通して「救いの御業」は働くはずなのだと。



・・・ホンネを言えば
私自身のことも、そんな感じで救ってほしいなァってことなんですけどネ (^^ゞ






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by dscorp-japan | 2015-03-28 12:32 | 葬儀 | Comments(0)
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
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