D’s(ディーズ)さんのぶろぐ

dscorp.exblog.jp Top

『 主にささげる24時間 』

 
昨年の10月4日
ローマ教皇・フランシスコは、今年の四旬節にあたっての教皇メッセージのなかで
今日、3月13日から14日の間を「主にささげる24時間」として、特別に神に祈る取り組みを訴えられています。

(→教皇のメッセージはコチラ

            ♢

先日3月11日、私たち日本人は
4年前のこの日に東北で起きたこと、被災された方々のことを忘れないため
そして今なお苦難のなかにいらっしゃる方々に寄り添うため
宗教を超えて、祈りにおいてひとつになったものと信じます。
それぞれの日常生活のなかで
仕事をしながら
育児に奔走しながら
或いは学校で勉強しながら
それぞれの思いのなかで「3月11日」という日を過ごしたはずです。
何か特別なことは出来なかったとしても
少なくとも私たちはそれぞれの心のなかで、4年前の今日東北で起こった出来事を思い起こしたのではないでしょうか。

・・・4年前のあの日以来
毎年この日を迎えるたびに思うようになりました。
ある意味において
祈りとは「思い起こすこと」「思い返すこと」なのではないかと。

            ♢

毎日の生活が精一杯で
ときとして私たちは、大切なことや大切な人のことでさえ忘れてしまいがちです。
忘れたわけではないにしても
意識から追いやってしまうのが人間なのだと思います。

思い返すためには「きっかけ」が必要です。
私たちがさまざまな「記念日」を大切にするのは、そのためだと思います。

そして『四旬節』もまた
キリストの受難と復活を思い起こすための「きっかけ」なのだと思います。

「私たちの今があるのはイエス様のおかげ」
なんて、日常において少なくとも私は意識しておりません。
まったく忘れてます。
でも毎年この時期を迎えるたび
(あぁ、もう四旬節なのね・・・)
と、何ら特別なことはしないとしても、思い返すことはします。
熱心に祈るかどうかは別としても。


四旬節のなかでも
特に教皇様が「主にささげる24時間」を定められたことに、私は個人的に大きな意味を感じています。

・・・四旬節って、長いんです。
40日以上ある四旬節の間
ずっとキリストの受難と復活を思い起こせといわれても、正直難しい。
でも、24時間ならまだ何とかなりそう。
そりゃ24時間だって長いですよ。
でも、意識し続ける一日を過ごすくらいは・・・


私たちひとりひとりの
手を合わせる「祈り」とまではいかなくとも
皆が「思い起こす」ことの結束が生まれれば、と思うものです。





[PR]
by dscorp-japan | 2015-03-13 12:08 | キリスト教 | Comments(0)
line

これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
line
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30