ご本人にしか分かりませんが
葬儀依頼をいただいたお客様と打ち合わせが終わった後
本題とは異なった四方山話をお聞きすることが少なくありません。
「真夜中なのに大変なお仕事ですね」
という問いかけもあれば
「葬儀屋さんって儲かるんでしょ?
ウチからは儲けないでネ」
などというツッコミ(?)もあったりします ^^;
一方で
しばしばお聞きするのが、お亡くなりになられた方の最期に関するお話です。
「長い闘病生活だったけれど、最期は穏やかに旅立ちました」
「最後に桜の花を見られて何よりでした」
そんなお話のなかに
ちょっとだけ不思議な、というか
少なくともご家族にとっては、単なる偶然と片付けられない(或いは片付けたくない)ようなお話もあります。
よくお聞きするのが
「(本人は)私たちが駆けつけるのを待ってくれた」
というもの。
第三者にとっては単なる偶然であっても
当事者であるご家族にしてみれば、それはそれは大切なエピソードです。
ご家族の仰る通り
ご本人は、本当に待っていて下さったのかもしれないのですから。
昨日、私が担当させていただいたお客様からもお聞きしました。
「もう長い間ずっと、母は意識が混濁していたんです」
お亡くなりになられた方は、齢90を超えたお婆様。
いわゆる認知症の類の病を患われていたとお聞きしました。
「朦朧とする意識のなか
母はずっと、顔をしかめながら病と闘っていました。
そして亡くなった当日のお昼頃
それまでずっと苦しそうに顔をしかめていた母が、突然穏やかな顔になって言ったんです。
『ありがとうね』って。
そして、すぅっと涙を流したんです。
そのまま、母は逝きました・・・」
・・・これも単なる偶然なのでしょうか。
「自分の死期を悟るなんてことはあり得ない」と、はたして断定できましょうか・・・
♢
以前ここで取り上げました本『人は死なない』を読みますと
医療の現場では、同様の事象が頻繁に見られるようです。
そしてそれらの事象を、お医者様でいらっしゃる著者・矢作直樹先生自ら
「理由は分からないけれど、そうした事象はたしかにある」
と仰います。
→ https://www.youtube.com/watch?v=HLVeGlGYdEw
個人的には
この矢作先生の見解すべてに同意するところではありません。
ただ好感が持てると思うのは
矢作先生は「生」に対しても「死」に対しても、謙虚さが感じられるところです。
♢
私は葬儀屋さんです。
人間が亡くなる瞬間に立ち会うということはまずありません。
ただ
当事者として、そうしたご経験をされた方々からのお話を聞く機会は多いと思います。
私にお話し下さった多くの方々が皆、口裏を合わせたようにウソを仰っているなら別ですが
これまでにお聞きしたお話には、あまりにも多くの共通点があるんですね。
そして、そうしたお話を聞くにつけ
(どうも「死んだらすべて終わり」ってわけでもなさそうだぞ)
(やっぱりどうやら、神か仏か知らんが、何かが存在してるんじゃない?)
と思わされるのです。
・・・まァ
その答えは(亡くなった)本人にしか分からないんですけどネ。
でも、だからこそ
私は人の死に対して、常に謙遜でいなければと思うのであります m(_ _)m