D’s(ディーズ)さんのぶろぐ

dscorp.exblog.jp Top

11月2日・死者の日

 
ほぼ毎年、この日は同じテーマで書かせていただいております。

『死者の日』について思うところの多くは
すでに過去の記事で申し述べさせていただいております。

→ 過去記事( 2010年 2011年 2013年

私は葬儀屋さんです。
死者の為に祈ることを否定した時点で、私は自らのアイデンティティを否定することになってしまいます。

そもそも「祈る」という行為について考えるとき
その対象は大きく分けてふたつあると捉えることができるのではないでしょうか。
ひとつは
今現存する、この世界の為の祈り。
そしてもうひとつが
今はこの世を去った方の為の祈り。

ひとつめの祈りは
私たちに直接的に関係する事柄の為の祈りです。
幸福を願う。
平和を願う。
困難を乗り越えることを願う。
突き詰めて申しますなら
これらすべて、今生きている自分や自分たちの世界の為の祈りです。

対して死者の為に祈るということは
死者の魂の安息と平安を願うということでしょう。
この前提にあるのは
「身体は滅びてもその魂は残ることを信じる」ということではないでしょうか。

いわゆる「あの世」がどのようなところなのか。
その回答はそれぞれの宗教が、その教義において提示します。
どれを信じるか(或いは信じないか)は個々人の自由です。
しかし「あの世」がどのようなところかは別としても
人間の魂は「あの世」へ行くのだと信じるのであれば、今はこの世を去った私たちの大切な方の為に祈ることは、至極自然な行いなのだと思います。


身内の話で恐縮ですが
先日、私の義理の伯母が亡くなりました。
伯母はクリスチャンではありません。
では
カトリック信者である私の、カトリックとしての祈りは意味を為さないのか。
断じて、そのようなことは無いと信じます。
私の信じる神様は
そんな狭い了見の方ではないのであります。

どなたにも
この世を去った大切な方がいらっしゃるのではないでしょうか。
お世話になった方がいらっしゃるのではないでしょうか。

祈り方はそれぞれでいい。
「死者の為に祈る」その行為こそが尊いのだ、と。






[PR]
by dscorp-japan | 2014-11-02 17:47 | キリスト教 | Comments(2)
Commented by クリスティナ at 2014-11-03 07:28 x
ディーズさん、お疲れ様です。
「故無く」私達を愛して下さる神は、「にも関わらず」の私達さえも深く愛して下さいます。その“ 愛 ”は私達のものさしでは測る事の出来ないものだと思います…。亡くなった人々の為の祈りが届きますように☆
Commented by dscorp-japan at 2014-11-04 13:23
☀クリスティナさん。
ここで再三申し上げておりますが
お盆もお彼岸も死者の日も、私たちが死者を思い起こすための“きっかけ”の日だと思います。
普段は忘れがちの、今はこの世を去った人たちを思い起こしすことが大切なのだと思います。
line

これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
line
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30