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お葬式を宗教施設で行うことの意義

 
先日の記事
フランシスカさんから、大変興味深い(というか意義深い)コメントをいただきました。

とあるカトリック司祭との会話のなかで
その神父様は
葬祭会館が駄目とは言わないけど教会で葬儀をすることの大切さ、意味を理解してほしい」
と仰ったとのことでした。


私の考えで申しますと
これはキリスト教葬儀に限ったことではありません(過去記事参照)
たとえば仏式葬儀にしても
本来的な意義から申しますなら、所属するお寺(菩提寺)でお葬式を執り行うのが本義なのではないかと考えます。
もちろんそれは強制されることではありません。
お葬式は自由なものなのであって、これを行う場所(式場)の選択もまた自由であります。
仮に葬儀会館でお葬式を執り行うこととなったとして
そこで行われる典礼(祈りの儀式)が偽物であるはずもありません。
お葬式がどこで行われようと
そこに集まる方々の祈りはまぎれもない真実であります。

しかし。
というか、だからこそ
その祈りが(その宗教の提示する)神仏に届くことを切に願うのならなおのこと
その宗教施設を介して祈られることが大切なのではないかと思うのです。

            ♢

以前お世話になっていた葬儀社で
私は葬儀会館の長をさせていただいていたことがあります。
当時は結構忙しい会館でして
毎日のように様々な宗教の(或いは無宗派葬も含めて)お葬式が行われておりました。
私たちはその日に行われるお葬式の宗派に合わせて
毎日自社で保有する宗教用具を用意して、祭壇を組み、その宗派に合わせたお葬式の準備をしていたものです。

・・・しかしその一方で
宗教施設で行われるお葬式の準備にも駆り出されることが多々ありました。

そこで私たちが思うこと。
(やっぱり “ 本物 ” は違うな)
ということでした。
私自身はカトリック信者ではありますが
お寺の本堂などに足を踏み入れるたび、心が引き締まる思いでした。

お葬式の規模は関係ありません。
宗教施設の規模の大小も関係ありません。
その宗教の教義に賛同するか否かも関係ありません。
おそらくは
その宗教施設の空間、それこそ柱の一本一本にまで浸みこんだ、人々の「祈りの痕跡」「空気感」が私たちを厳粛な思いにさせるのだと思います。

・・・もしかするとこれ
葬儀屋さんにしか分からない感覚かもしれません。
しかし “ 本物 ” のもつ圧倒的な説得力は、葬儀会館では到底表現できないものだと断言できます。

そもそも施設(式場)の成り立ちから違うのです。
葬儀会館とは
あらゆるお葬式に対応できるための、最大公約数的な造りとなっております。
対して宗教施設とは
それぞれの宗教の有する教義を表現・提示し
その宗教の信者たちが祈るために最も相応しいと考えられる造りになっているのです。
それは単なる空間ではありません。
視覚や聴覚、そしてときには嗅覚を通して
その宗教の考える「救い」を提示するのです。

その部分において
葬儀会館が適うはずがないのです。

            ♢

お葬式とは
他者の為の、最も強い「祈り」であります。

日々、私たちは自分の為に祈ることはします。
しかし、他者の為に祈ることが果たしてどれだけあるでしょう?
お葬式とは
自分以外の人のための、最も強い祈りの場なのだと思うんです。
ならば
その祈りの助けとなるのが、宗教施設なのではないでしょうか。


昨今、家族葬や小規模葬を考えられる方が少なくありません。
お葬式の規模が小さくなりつつある今こそ
宗教施設のもつ意味や意義が見直されて良いのではないでしょうか。





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by dscorp-japan | 2014-08-28 22:54 | 葬儀 | Comments(2)
Commented at 2014-08-31 00:24 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by dscorp-japan at 2014-09-02 02:46
☀******さん。
>その時がきたら
などと仰らないでくださいな(笑汗)
「どちらが先に召されるか」もまた、神様の御心ですので・・・
line

これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
line
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