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エンバーミングについて思うこと

 
盟友:はるさんがエンバーミングについて記事を書かれています。
(とても勉強になるので是非ご一読ください!)

→ 「エンバーミングの普及状況の推移」
→ 「施術率に対する疑義」
→ 「誰のための技術か」


ご周知のことかと存じますが
エンバーミングという遺体保全方法は、欧米諸国で発展・普及してきたものです。
この技術がキリスト教圏において発達してきたという事実には、少々興味深いものがあります。

一般的なキリスト教の解釈には、聖書にある「最後の審判において人は復活する」という考え方があります。
「(肉体としての)からだの復活」であります。
これが「土葬文化」及びそのプロセスとしての「エンバーミング」に繋がっているのではないでしょうか。
ただ一方で
「死後の遺体に魂がとどまるものではない」という解釈もまたあるわけです。
ですから特にプロテスタント教会諸派では、ご遺体に対することさらな崇拝を否定します。

「エンバーミング処置を施された身体が、はたして復活の対象となるのか」

その論議はともかくとして
結果的に、近年欧米諸国においても火葬が普及してきているという話もあります。
(現在多くのキリスト教会は火葬を否定しておりません)

            ♢

さて。
エンバーミングという技術を日本に当てはめた場合、その意義はどこにあるのか。

やはり
(ご遺族の)心情的な側面が大きく作用するのではないでしょうか。
大切な存在を亡くしたご遺族にとって
その亡骸を「荼毘に伏す」ということは、心情的に非常に辛いものです。
最終的に、火葬国である日本においてこれを避けて通るわけにはいかないのですが・・・
ただ
「出来ることなら少しでも長い時間、故人の(ご遺体の)そばに居たい」という思いは、おそらくどなたにもあるのではないでしょうか。

そこに理屈などないのです。
たとえそのご遺体に魂は宿っていないとしても
故人の眠るお顔をとおして
或いはその身体をとおして
私たちは故人と関わってきた歴史を振り返り、惜別の情にかられるのであります。

たしかに
「大切な存在の死を受け入れる」には、時間が必要なのです。
「エンバーミング」とはつまり
死者との別れの「時間延長」である、ともいえるのではないでしょうか。
そこにどれだけの意義を見出すのかは、ご遺族それぞれの価値観によるのでしょう・・・

ただ、これだけは言えると思います。

・・・ご遺体は
故人様がたしかに私たちの傍に居てくれた、関わってくれた、愛してくれたという実存的証明なのだということ。

            ♢

日本におけるエンバーミングの今後について考えた場合
はるさんと同じく私もまた、まだまだ時間がかかるのではないだろうかという印象です。
(はるさん言われるところの)施術件数やその比率の信憑性はともかくとして
まず絶対的に「そこに必要性はあるのか」という問題になると思います。
たしかに
エンバーミングというプロセスを経なくともお葬式は出来るのです、間違いなく。
現在一般的に使用されている「ドライアイスをあてる」ことで
ある程度の期間、ご遺体の保全は保たれるのです。
或いは「ご遺体用冷蔵庫」を使用するという手段もあります。

そこに「エンバーミング処置」という選択肢が割って入るためには
エンバーミングだからこそ、という価値観がどれだけ認知されるかによるのだと思います。
おそらくは
事故死や変死といった死因で亡くなられ方の「ご遺体修復」が、そのキーワードになるのではないかと思っておるのですが、はてさて?


・・・あとはその費用、なんですよね・・・(汗)







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by dscorp-japan | 2014-07-02 00:00 | 葬儀 | Comments(0)
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
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