どのような最期が?
おそらくどなたも
こんな話題で話し合ったりしたことがあるんじゃないでしょうか?
「どのような最期の迎え方が理想?」
当たり前のことですが
誰だって生きている以上、いつかは死が訪れますよね。
どんなエライ人だろうと
ものすごいお金持ちの人だろうと
何をどうあがこうとも結局避けられないわけです、死は。
だったらせめて少しでもラクに死にたいし
その死に至るまでのプロセスにおいても、可能な限り苦痛は遠ざけたいところですよね。
“ ピンピンコロリ ”
病気に苦しむことなく、元気に長生きし、病まずにコロリと死のうという意味の標語。
略してPPKとも言う。(ウィキペディアより転載)
・・・“ 略してPPK ” って・・・(汗)
そりゃ理想でしょうよ、PPKなら(笑)
よく言いますよね。
「美味しく食事をいただいて
ゆっくりとお風呂に入って
いつものようにお布団に入って
そんでもって翌朝亡くなってるってのがイチバン」
「朝気付いたら自分が死んでた(って本人は気付けませんケド)って、最高じゃん?」
・・・ところが私たち葬儀屋さんの場合ですと
どうしても考えてしまうことがあるんです、他の方々とは別の視点で。
それは何かと申しますと
「どんな死に方が周りにいちばん迷惑をかけずに済むか」
結論から申しますと
どのような最期を迎えようと、多少なりとも周りの方のお世話になることは致し方ないところです。
それでも
少しでも周りに迷惑をかけずに死にたいものだと考えてしまうものなのです。
たとえば、私なんぞは独り身でございます。
自分が死んだときのことを考えると
まずは「誰の世話になるべきか(つまり誰に迷惑をかけるか)」ということから考えてしまいます。
まァお葬式の事はウチの会社で何とかしてくれるでしょう、多分。
会社のその後のこともスタッフに丸投げで良いや(笑)
でも、プライベートな部分での諸問題はというと・・・
弟は遠く北海道で所帯を構えておりますし
妹は妹で一応嫁いでおりますのであまり負担はかけられません。
・・・となると
考えられる手立ては、生前に公正証書遺言を作成しておいて、これを執行していただく遺言執行人を決めておくこと、でしょうか・・・
つまり
「どのような死に方が理想か」
も大切でしょうが
「どのように死に方が、より迷惑をかけずに済むか」
ということもまた、大切なような気がするんですよね。
・・・しかしやっぱり
死ぬのは仕方ないとしても、死に至るまでのプロセスにおける肉体的・精神的苦痛からは逃れたいものですよね・・・
やっぱPPKってこと、なのかなぁ・・・。
若い頃には考えもしなかった「最期」も、この歳になると少しずつ現実味を帯びてきますね…。PPKか…確かに理想かもしれませんね、でもきっと難しいだろうなぁと思います。私はホイヴェルス神父様の『人生の秋に』の"最上のわざ"をいつも心に置いて「最期」を迎えられたら良いな~と思います。……あくまで理想なんですけれども☆
・・・いやァ
私などと違って、クリスティナさんはまだまだお若いでしょうに(笑)
とはいえ
『青春~朱夏~白秋~玄冬』でいうところの「朱夏」ではあります。
“ 人生真っ盛り ” と言われても、身体の衰えは隠せません(汗)
お互い、良い『白秋~玄冬』の時期を迎えたいものですね。