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偶然か、奇蹟か

 
この話題も以前にもこのブログ内でお話させていただいたことなんですけど・・・
(いよいよネタ切れか?)


ご葬儀の担当をさせていただくなかでいちばん好きなことは
(時間のあるときにですが)ご依頼をいただいたお客様と四方山話をさせていただくことです。

もちろんお客様のご意向にもよります。
悲しみに打ちひしがれていらっしゃるご遺族様に対して
私から無駄話を持ち掛けるようなことはいたしません。
お客様サイドから何らかの話題を振られたときのみ、です。
どちらかというと
ご葬儀を終えられた後、ご精算の為にお客様の御自宅などへお邪魔させていただいたときが多いです。
ただお客様によっては
ご葬儀の最初の打ち合わせの時点から、積極的にお話いただける方もいらっしゃいます。

・・・それはそれで私としては有難いことです m(_ _)m
少なくとも
お客様から一切の信頼をいただけなければ、打ち合わせに関係のないお話はされないことでしょうから。


さて。
お客様との会話の中でよくお話しいただくことのひとつに
「(ご本人が)亡くなられる直前から直後にかけて起こった不思議な出来事」について、というのがあります。

「不思議な出来事」。
たとえば
「(亡くなられた方は)家族一同が揃うのを待って亡くなった」
とか
「家族のスケジュールの合間を縫うようなタイミングで旅立った」
というものから
「亡くなる直前に長らく沙汰無しだった親戚からご本人の健康を案じた連絡があった」
という、いわゆる “ 虫の知らせ ” 的な出来事とか
「亡くなった晩に(ご本人の)孫の夢枕に立った」
といった、いわゆる霊的な出来事とか。

・・・こういう類のお話を
私たち葬儀屋さんはたくさんお聞きするんです。
皆様がご想像なさる以上に、本当にたくさん。

当事者以外の方にしてみれば
「偶然」の一言で片づけられること、とも言えるんです。
「そりゃ “ たまたま ” だな」
そう言ってしまえば、不思議な出来事も不思議じゃなくなるわけです。


・・・でも、ですね。
こうした類のお話をいっぱい聞いてきた立場の人間として申しますと
「偶然」という言葉で軽々に片づけられるようなエピソードではないことって、意外と多いんですよ。
人智を超えた「摂理(≒神)」のような存在を否定しきれない出来事が。
「奇蹟的」と言わざるを得ないような出来事が。

数学的見地からみた確率論から判断すれば
いくら不思議な出来事であっても「起こり得ないことではない」となりましょう。
ケースによっては「充分起こり得るに足る確率だ」ということもありましょう。
しかし
世の中すべての事象を確率論で計るなら、この世から「奇蹟」などという概念は消えてなくなるのではないでしょうか・・・


このお仕事をさせていただいていると、つくづく思うのです。
人の命とは、何と不思議で奇蹟的なのだろうかと。
そして、何と崇高なものなのだろうかと。
やはり
「命」とは、私たち自らの手で得たものではなく、与えられたものなのだと思い至るのです。

カトリック教会で行われる納棺の祈りに、こんなお祈りがあります。

すべてを与え、また取り上げられる神よ
この世の務めを終えた〇〇〇〇(故人名)を、あなたにゆだねて祈ります。
体は滅びても、主・キリストの恵みによって復活の栄光に入る日まで
安らかに憩うことができますように。
わたしたちの主イエス・キリストによって。(アーメン)


まことに私たちの命とは
神から与えられ、また取り上げられるものなのだと。






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by dscorp-japan | 2013-11-10 00:00 | 葬儀 | Comments(2)
Commented by ゆきたんく at 2013-11-10 17:36 x
「偶然」ということが積み重なって必然に近くなるのではないでしょうか。

人智を超えた「奇跡」という概念は持っていたいものです。
Commented by dscorp-japan at 2013-11-11 13:46
☀ゆきたんくさん。
>人智を超えた「奇跡」という概念は持っていたい
まったく以て仰る通りだと思います。
身の回りでおこるすべての事象に対して
謙遜さをもって、その意味を考えられるような人間でありたいと思います。

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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
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