『夢の途中』或いは『セーラー服と機関銃』
音楽ネタといえば音楽ネタなんですが・・・
昨日担当させていただいた葬儀式のなかで
司式者である牧師先生が、講話の導入としてこのようなお話からはじめられたんですね。
「昔流行った曲の歌詞に、このようなものがありました。
“ さよならは別れの言葉じゃなくて
再び会うまでの遠い約束 ”
キリスト教で言うところの『さよなら』もまた
この歌詞のようなものではないかと思っております・・・」
礼拝堂のいちばん後ろにいた私は思いましたよ。
(おぉ?もしや先生は来生たかおのファンなのか?
いやいや!或いは薬師丸ひろ子のファンか?)
・・・まァどっちのファンでも
或いはそうでなくても良いんですけど(笑)
その曲とは
『夢の途中』であり『セーラー服と機関銃』であります。
来生たかおさん作曲・来生えつこさん作詞。
『夢の途中』が来生さんの歌われる曲で
『セーラー服と機関銃』が薬師丸ひろ子さんの歌われる曲ですね。
ほんの少しだけ歌詞が異なるところがありますが
この曲のAメロで歌われる歌いだしの歌詞は同じであります。
『夢の途中』がこれで
『セーラー服と機関銃』がこれ。
作詞者である来生えつこさんが
どのような思いでこの歌詞を綴られたのかは存じ上げませんが・・・
牧師先生が仰る通り
キリスト教でいうところの “ さよなら ” は、別れの言葉ではないと言えるかもしれません。
別れという言葉の捉え方にもよりますが
キリスト者にとっては、少なくとも “ 永遠の別れ ” は存在しない、ということになりましょうか。
・・・さらに言えば・・・
キリスト教に限らず
大切な人を亡くしたとき、死の向こうにある世界での再会を望むものです。
そこが天国なのか、阿弥陀浄土なのかは分かりません。
しかし結局のところ
私たちは心のどこかで、いつの日かまた会える日がくることを信じたくなるものです。
そう考えますと
“ 再び会えるまでの遠い約束 ” という言い回しは、私たちにとってある種の救いの言葉ではあります。
特に “ 遠い約束 ” というフレーズが
私たちの魂の永遠性を如実に表しているような気がします。
“ いつの日かは分からないけれど
その日は必ず来る ”
そこに私たちは希望を見出すのでしょう・・・
・・・と、まァこれも勝手な解釈なのかもしれませんけれど・・・
生きるってしんどいけれど、何かを信じて毎日を過ごせたらな と。