D’s(ディーズ)さんのぶろぐ

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前日記事の補足です

 
前日の記事で、私はこのような文章を書きました。


>「お葬式はセレモニーホールで」というのが半ば当たり前のようになっている現在でも
>キリスト教徒のお葬式の多くが、今なお教会で行われているわけです。
そしておそらく
ことキリスト教葬儀に限っていえば、この基本的考え方は今後も大きく変わることは無いと思われます。

これに対して
私の長年にわたる友人であるカトリック司祭・平政さんから御高見を賜りました m(_ _)m
曰く
「これからは信者さんの葬儀も会館で行うケースが多くなると思いますよ」とのこと。

・・・実のところ
その懸念が無いわけではないのです。

平政さんの仰る通り、たとえば
「クリスチャンとしての洗礼は受けているけど、もう長い間教会には行っていない」
とか
「(家族である)自分たちは洗礼を受けていないけど、亡くなった本人だけは信者である」
などというケースは今もあって
そういった方が、果たして教会でのお葬式を考えるだろうか?というわけです。

それ以外にも、単純に
「所属教会がお葬式をする為の充分なキャパシティを有していない」
とか
「(教会への)交通の便がよくない」
とか
「教会敷地内(及び近隣)に充分な駐車スペースが無い」
などの理由で
敢えて教会でのお葬式を敬遠されるという方も考えられます。
というか
すでに今現在においても、そういう選択をされる方はいらっしゃるんです・・・


ここで重要なのは
『お葬式の「何」に価値を求めるのか』ということなのだと思います。

もちろんその価値観やそれに伴う選択権はご遺族やご本人にあるのであって
当事者でない人間がああだこうだと言うべきものではないのでしょう。

私が申し上げたいのは
あくまでも「キリスト教会葬儀の本来的なあり方」ということであります。
ハードとしての教会が「神の家」であり「祈りの場所」であるなら
キリスト者の葬儀を執り行うに最も相応しい場所は教会であるはずだ、と申し上げたいのです。
そして
その価値観は今後も変わることは無いだろう、ということです。


だからといって
私は、キリスト教葬儀をセレモニーホールで行うことを選択された方を非難するつもりは微塵もありません。
その選択は自由であるべきだと思います。
セレモニーホールの利便性は
お葬式を行うご遺族の為、またご参列いただく方々の為にとことん考えられたものであります。
そこに価値を見出されるのも至極当然のことだと理解しますので。

            ♢

ところで。

先に頂いた御高見に関連して
平政さんは「だからオカダ君のところも葬儀会館を作れば良いじゃん」などというアドバイスをいただきました。

・・・そりゃ~ね
全く需要が見込めないわけじゃないのかもしれないけど
ウチがそういった類の箱モノを有したとして、果たして採算がとれると思いますか?(汗)
それ以前に
どこにそんなおカネがあると思ってんのよ・・・(泣)
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by dscorp-japan | 2013-10-10 00:14 | 葬儀 | Comments(0)
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
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