D’s(ディーズ)さんのぶろぐ

dscorp.exblog.jp Top

同じ色にはならない

 
以前にも書いたことがあります。

個人的には
キリスト教における各教派の違いは、最終的にはそれを選択するそれぞれの好みの問題だと思っております。
(→過去記事参照)

※ なかには「キリスト教」と自称しながら、その宗教観には少々危険な要素を内包した団体もあるにはあります。ただ、こうした「自称・キリスト教」は、いわゆるメジャーなキリスト教諸派からは「異端である」として認められておりません。したがって、ここではこうした異端派に関する言及は除外させていただきます。


・・・ごく稀にですが、いらっしゃるんですよ。
ご自分の信仰するキリスト教とは異なる教派の信徒の方に対して、少々構えるような素振りをされる方が。
そうした方の思いが分からないわけじゃありません。
それだけご自分の信仰されるキリスト教を大切になさっているということですから。

しかし。

たとえば(私の所属する)ローマ・カトリック教会の信徒であっても、それぞれの信仰が全き一致を見せているというわけでもないと思うんです。
お国柄や地域性の違いもあれば、それぞれの辿られた歴史の違いもあります。

たとえば
同じ教会に所属している信徒どうしだって、それぞれの信仰に違いがあることだって考えられるんです。
というか、あるんですよやっぱり。

神様との出会い方なんて千差万別。
どのような救いを求めるのかもまた然り。
違いがあって当然だと思うんですね。

極論で言えば
神様との向き合い方や信仰のあり方なんて、信者の数だけあるはずだと思うんです・・・


これも以前に書きましたが
信仰って、その人のアイデンティティを形成する重要なファクターだと思っております。
一人ひとりのアイデンティティと、その人のなかにあるキリスト教とが混ざり合って、その人だけの信仰が形成されるのだと。

たとえるならそれは絵具と同じようなものだと思います。
基本、同じ色のキリスト教も
その人それぞれのアイデンティティとして持ち合わせている色と混ざることによって、結果その色はそれぞれ微妙に違った色になるという感じ。
まったく同じ色になることなんて、まず無いと言っていい。

つまりこれが信仰のパーソナリティである、と。

だとするなら
その人の色はその人だけのものであって、それを周りがとやかく言う筋合いではないのだ、と。


「仮にその人の信仰に根本的な間違いがあったらどうするんだ?」

各教会に牧師先生や神父様がいらっしゃるのは、そのためなんですよね。
信徒それぞれの信仰を出来るだけ尊重しつつ
そこに看過できない間違いや誤解があれば、それを丁寧に指導してくださるのが司牧者の大切な役割なのだと思います・・・


とにかく
「認めること」「尊重すること」ではないでしょうか。
私はそれこそが「エキュメニカル」の基本理念だと思っているんです。



「じゃオマエの信仰は正しいのか?」

・・・まったく分かりません(汗)

ただ有難いことに、私はいろんな司牧者の方とお話させていただく機会に恵まれております m(_ _)m
少なくとも
そういった機会にお話しいただく内容から学ばせていただいてはいるつもり、です。

その学びが実を結んでいるかどうかは別として(笑汗)

・・・そこがいちばんの問題だろうが!
[PR]
by dscorp-japan | 2013-05-26 00:00 | キリスト教 | Comments(0)
line

これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
line
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30