ある朝
朝。
私は広い和室で、故人様と二人きりだった。
病院で着せられていた浴衣を脱がせてから
ご遺族のご用意された衣服にお着替えさせた。
すごく痩せていた。
手首も足首も
私の親指と人差し指で作る輪に入るくらいに。
少しだけ便が漏れていた。
ウェットティッシュで拭いた。
そういう姿を私なんぞに見られて
この人はさぞ嫌な思いなんだろうと思う。
だから私は何度も小声で「ごめんなさいね」を繰り返しながら作業する。
そして思う。
(オレもいつかこの人と同じになる)
(この人は未来のオレだ)
和室はとても静かだった。
生きとし生けるものの最後は死で締めくくられる。
日本では、「死ぬ」ことについて考える機会が少ないです。
宗教的なくくりなく、身近で体験する死も少ない・・・
「自分の未来」が必ずやってくることを
理解する機会がなければいけないと思います。
命を大切にすることは、「死」を理解することだと思っています。