D’s(ディーズ)さんのぶろぐ

dscorp.exblog.jp Top

はるさんの記事から

 
いつもとってもお勉強になる記事を書いてらっしゃるはるさん
こんな記事を書かれました。

『伝道という下心』

はるさんはキリスト教葬儀のエキスパートでいらっしゃって
ご自身もまたクリスチャンでいらっしゃいます。
クリスチャンとして葬儀を捉えられる目線をお持ちでいらっしゃって
また一方で、葬儀屋さんとして数多ある諸宗教の葬儀にも携わったご経験から
今のキリスト教の実情を、冷静な視点で捉えられております。

この記事のなかではるさんは仰います。
「キリスト教の伝道(宣教)は、決して押し付けになってはいけない」

この問いかけ
すべてのクリスチャンが(或いは数多あるすべての宗教に携わる人間が)謙虚に受け止めるべきだと思います。

カトリック教会には『信徒使徒職』という言葉があります。
信者である私たちもまたイエスの言葉を宣べ伝える使命がある、というものです。
しかしそれは何も
「キリスト教の神様はネ」
「聖書に書いてあるのはネ」
などと話しかけることではないんですね。
私たちがひとりの人間として、一社会人として
他者との交わりのなかで「自分はどうあるべきなのか」を常に自問しつつ、研鑚していくことなんですね。


誰もがご存知のマザー・テレサ。
生前の彼女は、多くの方々の最期を看取ってこられました。
すでにご存知のことと思いますが
彼女は誰に対しても、キリスト教への改宗を強要することはありませんでした。
亡くなられた方の宗教がヒンズー教ならヒンズー教の葬儀を。
イスラム教ならイスラム教の葬儀を。
彼女は、その姿勢を決して崩すことはありませんでした。
重要なのは
そうした活動をする団体の名称が『神の愛の宣教者会』であるということです。

・・・これこそが伝道(宣教)なのです。

真の伝道者(宣教者)とは
自身の言動による効果を求めるのではなく
あくまでも、神の愛の “道具” として、ただ粛々と生きる人を言うのだと思います。

ただただ謙遜であること。
自身は“塵”に過ぎない存在であること。
そうした認識の先にはじめて、伝道(宣教)があるのだということなのではないでしょうか。
[PR]
by dscorp-japan | 2011-06-25 18:08 | キリスト教 | Comments(0)
line

これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
line
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30