ベネディクト16世の発言
「環境に配慮した生活様式を選び、人類に危険を及ぼさないエネルギーの研究を開発することが
政治と経済の優先事項である」
・・・ネットのニュースでも取り上げられていました。
これはつまり
ローマ・カトリック教会として、間接的に「原発反対」の意思を表明したということなんでしょうね。
イタリアでは
12日・13日と、原発再開の是非を問う国民投票があるそうです。
今回のローマ教皇のご発言がイタリア国民の投票に影響を及ぼすことは必至でしょう。
おそらくは「原発反対」の意見が多勢を占めることでしょう。
このタイミングでの教皇発言は「イタリア国民(或いは世界中)に対する扇動だ」という意見もあるでしょう。
しかしその発言の内容は、とてもシンプル且つ明確なものだと思います。
もしかすると、ベネディクト16世は
「たとえ理想論だろうと、それを今言わずに、いつ言えばいいのでしょう?」
と、暗に問いかけているのかもしれません・・・
誰だって、便利で豊かな生活がしたい。
一度手にした利便性や財産を諦めることは、たやすいことではありませんよね。
しかし
それと引き換えに負うリスクは、私たちの世代だけでは終わらないのかもしれません。
私たちの子どもや孫の世代にまで、その“宿題” を負わせることにもなりかねません。
(もうすでに負わせているともいえます)
現状の、便利で豊かな生活をとるのか
慎ましくも、より安全な生活をとるのか。
いや
そもそも“豊かな生活” とは何なのか。
実は今、私たちはものすごく大きな岐路に立たされているのかもしれません・・・
♢
私は「原発賛成」でも「反対」でもありません。
“逃げ” で言っているわけではなくて、正直な気持ちです。
あらゆる意味で、とことん安全な原発なら「賛成」です(本当にそんなものがあるのなら!)。
でも、少なくとも今のフクシマを見る限りは「NO」と言わざるを得ません。
私自身には子どもはおりませんが、甥や姪はおります。
ウチの社員にも子どもがおります(私の、間接的な扶養家族であります)。
教員時代の教え子たちにも、すでに子どもが生まれております。
同級生のなかには、早々と孫が出来たという人間もおります。
・・・やっぱり
子どもたちには、より良い未来を遺して死んでいきたいです。
私たちはすでに
子どもたちの世代に、大きな十字架を負わせてしまったのかもしれません。
今回の原発問題が一朝一夕で解決出来ないことは明々白々であります。
もしかすると
後世、私たちは不名誉にも「究極の無責任世代」として語り継がれるのかもしれません。
でも
せめて軌道修正の “きっかけ” くらいは私たちの世代で・・・
♢
今日は聖霊降臨の祝日。
聖霊の賜物が
私たち人類全員の上に豊かに注がれますように、と祈らずにはおれません。
聖霊が、私たちを正しい選択へと導いて下さいますように。
私たちが自らの過ちを謙虚に認め、改めることが出来ますように。
ダメな私たちが
ダメなままで終わることがありませんように・・・