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『天国泥棒』・2

先日記事にさせていただきました『天国泥棒』の話。

何故こんなお話をしたかと申しますと
昨日~今日と、私が担当させていただいておりますご葬儀での
故人様の洗礼名が『ディスマス』なんですね。

『ディスマス』=“天国泥棒”

ご本人は、亡くなられた時点ではクリスチャンではありませんでした。
いや
本当は、亡くなられたまさにその日
ご本人とご家族が心を通わせていらっしゃった、T神父様から洗礼を授かる予定だったんです・・・

ご本人は
洗礼の約束の日の未明に旅立たれました。
訃報を聞かれたT神父様は
急いでご本人の枕元に駆けつけて、臨終洗礼を授けられました。

私もよく存じ上げているT神父様。
昔は、私の所属するカトリック布池教会にも赴任されていらっしゃいました。
そのT神父様は、私にこう仰いました。

「〇〇さん(ご本人)の洗礼名は是非 “ディスマス” にしようと思う。
私は彼とは旧知の友人なんだ。
彼のことはよく知っている。
彼は “天国泥棒” ということで、“善き罪人”であるディスマスが相応しいと思うんだ」

“善き罪人” とはつまり、ディスマスのことです。
聖書にはディスマスという表記がありません。
つまり、聖書の上では名前が無いんです。
ということで
特にカトリックの世界において、彼のことを“善き罪人” と言うんですね。


一昨日、故人様の奥様よりお話を伺いました。

「主人が病床にあったとき
抗がん剤で意識が朦朧としていたのに
突然、大きな声で言ったんです。
『ボクはこれから天国に行ってきます!』
私たちがビックリするくらいの大きな声で。
お隣の病室にも聴こえるんじゃないかっていうくらいの大きな声で」

「主人はキリスト教徒ではありませんでした。
私たちが教会に行くときも、家でお留守番だったりしました。
もちろん一緒に教会に行ったこともありますよ。
ただ、洗礼は受けなかったんです。
でもネ
主人の意識は、もうすでにキリスト教徒だったんですよね・・・」


・・・『天国泥棒』という表現は、決して侮蔑した表現なんかじゃないんです。
都合よく、亡くなる間際に寝返ったわけじゃないんです。
ご本人の心のなかで
ゆっくりと、静かに、その信仰は育まれていたんです。

「洗礼を受けたから救われる」?

洗礼は、決して必要条件ではありません。
洗礼など受けなくとも、神の愛を実践されている方は大勢いらっしゃいます。
・・・或いは、洗礼を受けている私たち以上に!
そうした方々に対して
神様の慈しみと、慰めと、癒しと、救いが、注がれないはずがないのであります。

そう。
『天国泥棒』に対して
もしかして私たちキリスト信者は、自らを恥じて、ひれ伏さなければならないのかもしれません・・・。
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by dscorp-japan | 2011-04-04 00:03 | キリスト教 | Comments(0)
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
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