日本人の美徳
ご覧になっていた方もいらっしゃると思います。
あるワイドショーで
今回の震災に関して、ある解説者の方が仰ってました。
「今回の震災を通して、私たちは学ばなければならない。
それは
普段の生活から、生活必需品を備蓄しておくことだ」
それを聞いたワイドショーの司会者の方
「でも、今はまず被災者の方々のためにも
買占めを控えることが大切ですよね?」
・・・司会者の方、結構慌てていたようにお見受けしました・・・
解説者の方が仰ることは間違いではないのでしょうが
今それを言うか・・・?
♢
一方
これもすでにネット上で話題となっている『ウエシマ作戦』。
ご存知、ダチョウ倶楽部のギャグですよね(笑)
この『ウエシマ作戦』について
ダチョウ倶楽部の上島さんご自身がブログ上で仰っています。
「“どうぞどうぞ”のネタも、寺門とリーダーがいて3人でやるから出来るネタです」
・・・上島さん
何気に、すごく良いこと言うなぁって思いました!
上島さんの仰る通りですよね。
“どうぞどうぞ”は、一人じゃ出来ない。
信じ合える人がいて、はじめて“どうぞどうぞ”が成立するんですね・・・
・・・考えてみると
この“どうぞどうぞ”のギャグ自体、とっても日本人的なモノのような気がします。
日本人以外ではあり得ない、とまでは申しませんが
でもおそらく、このギャグを笑える国民性というのは、日本人だからこそなのかと。
『譲り合い』という美徳が日本人に備わっているということ
これは素直に自慢していいのではないでしょうか。
♢
決して
備蓄することが『悪』ではないと思います。
ただ
それは『今』じゃないということですよね・・・
何かできないか、何かしなくては・・と。
生活費の中からわずかなお金しか募金できず、
自分の無力さを痛感しました。
被災地に行って助けてあげたい、物資を送ってあげたい。
たくさんの人たちがそう思っているでしょう。
その「大きな和」がこの国難を乗り越える力になるはずです。
私もその和に入るべく、「買占めないこと」「ガソリンを使わないこと」にしています。
今できるのはこれくらいですが、それでも何かの助けになっていると信じています。
私は、祈るだけでも大切な支援活動だと思うようにしています。
(もちろんその延長に具体的な行動が伴わなければいけないのでしょうが)
そうでなければ
神様を信じる自分自身を否定するような気がするのです。
こんなとき私は
(貴方のハンドルネームでもある)聖母マリアに祈ります。
【サルべ・レジナ】
元后、あわれみ深き御母(おんはは)、
われらの命、慰め、および望みなるマリア、
われら ちくたくの身なるエワの子なれば、
御身(おんみ)に向て呼ばわり、
この涙の谷に泣き叫びて、
ひたすら仰ぎ望み奉(たてまつ)る。
あゝわれらの代願者よ、
あわれみの御眼(おんまなこ)もて われらを顧み給え。
また このちくたくの終らん後(のち)、
尊き御子(おんこ)イエズスをわれらに示したまえ。
寛容、仁慈(じんじ)、甘美にまします童貞マリア。
解説者の方も司会者の方もみんな人です。感じる心も人それぞれです。
たとえ被災地にいなくてもできることは多々あります。
SLの立場から言えることはいま居る環境でできる間接支援です。
「自分の命は自分で守る」これが災害時の鉄則です。これができないと二次災害を起こす恐れがあるからです。
消費(買占めではなく)できるだけ現地のもの。産業が動き出せば
環境も変わります。
余分なこと書きましたが、いま自分がおかれている環境と状況のなかで選択していけば良いことだと思います。
所属団体から要請があれば現地に向かう準備はできています。
それまではいまできることを精いっぱいすること。
ごちゃごちゃ書いてごめんなさい。
いろいろとお教えいただき、有り難うございます。
災害から一週間経ちました。
私が個人的に気をつけなきゃいけないと思うことは
支援するという意識の“希薄化”です。
今はこぞって「助けよう」「支援しよう」と言っていますが
時間とともにその意識が薄れてしまうことが恐ろしいと思うのです。
被災者の本当の苦しみ(特にストレスなど)は、これからだと思うんです。
ここで自分の思いを言える事ができ嬉しいです。
言葉にすることも大事ですけど、秘めることも必要です。
被災者の心の痛みはながい年月がかかります。
教えていただいた手を合わせること。
しっかり心に刻み一歩踏み出します。
明るい話題やいろんな知恵を書いてくださいね。
楽しみにしています。