『ゆれる葬祭』
2月5日の日本経済新聞に取り上げられた記事です。
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日本経済新聞『ゆれる葬祭』
この記事はなかなか的を得たものだと思います。
様々な視点から現在の葬儀事情に言及されていて
俯瞰した視点から、ある程度の的確な問題提起をされているのではないでしょうか。
(詳しくは上記リンクから記事をご覧ください)
・・・さて。
私なりに記事を拝読しました感想を少々。
この記事を読んだ私の脳裏に浮かんだキーワードは
「倫理観」と「グリーフワーク」のふたつです。
「倫理観」というのは
葬儀屋さんの倫理観であり
宗教者の倫理観であります。
葬儀屋さんと宗教者の倫理観とはつまり「経済的倫理観」と言えましょう。
葬儀屋さんも商売です。
お葬式によって儲けなければいけません。
宗教者にしても
現実的にはご遺族様からいただく(仏教で言えば)お布施は、重要な収入源です。
しかしここへきて
葬儀屋さんにしても宗教者にしても、その“サジ加減” が見直される時期である、ということです。
ただ
ここで注意しなければならないのが、その“サジ加減” についてです。
法外な金額は当然見直されるべきです。
しかし「安い=善」という価値観だけが独り歩きすると
葬儀屋さんも宗教者も成立しなくなる可能性があります。
そして、文化としてのお葬式が崩壊する可能性だって秘めていると思うんです。
「家族葬」
結構でしょう。
「直葬」
それも有りかもしれません。
しかし、ただ「安いから」という判断基準だけでそれを選択するのは、少々危険なような気がします。
安くするが為に、本来大切だとされる伝統や文化を削ったり
或いはご遺族でさえ気付かないうちに、大切な思いを我慢したり・・・
それが果たして良いお葬式となり得るのかという危険が、そこにはあるのではないでしょうか。
そして
その危険性を理解している消費者が、果たしてどれだけいらっしゃるのでしょうか・・・
そこで思い浮かぶのが「グリーフワーク」というキーワードです。
現状、マスメディアの取り上げる『お葬式事情』に関する記事の殆どは
「遺族の悲しみを汲み取るお葬式」
「遺族が悲しみを乗り越えるためのお葬式」
という視点が欠落しているように思います。
もっと言えば
悲しむ人は、遺族だけではないのかもしれない。
↓
『お葬式の担う社会的役割』
悲しみを乗り越えるには、時間が必要です。
これは葬儀に対する価値観がどのようなものであったとしても、です。
お葬式をしようとしまいと
悲しみを乗り越えるための時間が必要なんです、人間には。
そしてお葬式とは
その悲しみを乗り越える手段として、私たち人間が考え出したものなのです。
日本経済新聞の記事の最後に、記者の方がこう仰っています。
『葬儀が必要かどうかという二項対立的な議論よりも
葬儀の本来の意味を再考し、各人がよいと信じる形で送られることが望まれているようだ』
『葬儀本来の意味』の価値観は人それぞれでしょう。
だから「家族葬」があって「直葬」があるのでしょうから。
ただ
それぞれの方が、自身の価値観をしっかりと認識したうえでお葬式をしないと
大きな後悔の念に苛まれる場合もあるのだということです。
お葬式のやり直しは出来ないのですから。
ヒトそれぞれの価値観が違いますしね。
それぞれの立場で考える時期なのかも知れませんね。
ただ、日本の文化や良き風習は残したいですね。