弔電のはなし
以前に比べるとその数は減少傾向にありますね。
元々弔電というのは
『急な訃報を聞いたが駆けつけることが出来ない為、電報で弔慰を表す』というものでした。
考えてみればこれも前時代的な“名残り”とも言えまして、今じゃ携帯だってメールだってあるわけですから、電報など打たなくとも弔慰を示すことは出来るわけです。
ところがこの弔電もまたお葬式の“習わし”のひとつとも言えまして、特に政治家、企業(或いは企業の代表者)、地元の名士の方などは『弔電』を打ちますね。
私が常々(?)と思っているのが、その文面です。
NTTさんは祝電や弔電の一般的な例文を用意されてまして、電報を打つ側は“無難なセンで”ということで、この例文をそのまま使うケースが多いんです。
『御尊父様(御母堂様)の御逝去の報に接し、謹んでお悔やみ申し上げますとともに、心からご冥福をお祈りいたします』
私たち葬儀屋さんは、もうこの文面暗記しちゃってるわけですね(汗)
いや、この文面自体がダメということではないんです。
私が言いたいのは
「弔慰を示すのなら、自分の言葉で表現したら?」と思うのです。
言いたくはありませんが
もう、“ザ・義理弔電”って感じでしょ?
そんなのを受け取って、ご遺族の皆様はホントに嬉しいと思ってるのでしょうか?
せっかくおカネを出して弔慰を示すのなら、相手の心に響く言葉で表現したいと思わないのかなぁ。
私の知り合いの社長さんは
社員のご家族に御不幸があると、必ず手書きの手紙をしたためて、式に参列する社員に託すということをされてます。
「別に式の中で披露してもらわなくていいから、アイツに届けてくれ」って。
で、どんな文面なのかを見せてもらったことがあります。
「〇〇様(故人様)、〇〇君(社員)を産んでくださって有難うございます。
どうか〇〇君のことは私たちにお任せいただき、どうぞ安らかに御永眠下さい」
・・・なんか良くないですか・・・?
あくまでこれはひとつの例ですが
もし皆さんが弔電を打たれる際には、どうかご自分の言葉で弔慰を示されたらいかがでしょうか。
何事も“カタチ”に拘る日本人ですから仕方ないのかもしれませんが、ほんの少しでも「心」が見えると、ホントに嬉しいと思うんです。
私たちが弔電を読み上げるとき、時折ホントに素晴らしいと思える文面に出くわします。
そんな時って、読み上げている私たちでさえ涙腺が熱くなるんですよ(照)
以前・・・
私のにとって人生の師と思っている方が亡くなられた時、
その亡くなられた方に対して、つらつらと、私の思いをつづったお手紙を、電報に託そうとしたことがあります。
でも・・電報受付の時点で、
「喪主のお名前宛てでなければ発信できません」と言われこともあり・・・
喪主さまではないけれどお身内の方が、私のお友だちで・・・
その愛しい友の哀しみを思う言葉を、電報に託したい、
という気持ち・・・
世間の常識には外れるかもしれませんが、
私は、それを大切にしていきたいと思います。
結局「お葬式でのお悔やみは『弔電』であるべし」という不文律が浸透してしまっていることが問題なんですよね。
本文中の社長じゃないですが、別に手紙だっていいはずなんです。
宛名だって、故人宛でも喪主宛でも、ご家族宛でもいいはず。
「喪主のお名前宛でなければ・・・」というのは、相手方に間違いなく届けるための措置です。
こういう場合は「〇〇様(喪主)方・△△様」とすればよろしいですね。