D’s(ディーズ)さんのぶろぐ

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神の愛への応え方

ある本に書かれていたエピソードをご紹介します。

ポールという男がいました。
彼は毎日、聖ジャック教会の玄関に座って物乞いをしていました。
彼の手にはいつもワインの瓶が一本ありました。
彼の身体が色々な病に蝕まれていたことは想像に難くなく、ひどい顔色だったそうです。
誰の目にも、彼はそう長くないだろうと映りました。
毎日を教会の玄関で過ごすポールですが、毎朝彼は玄関を離れ、教会聖堂の前列に座り、聖櫃の前にいました。
これに気付いたN婦人がポールに尋ねました。

「毎朝貴方はあそこに座って何をしているの?
貴方はロザリオも持っていないし祈祷書も持っていない。
時折居眠りさえしているのに」

ポールは答えたそうです。

「どうしてオレが祈れよう?
オレは日曜学校で教わった祈りの全てを忘れてしまったのに。
オレはただ、イエスが独りで小さな箱の中におられる聖櫃のところへ行ってこう言うんだ。
『イエス!オレです、ポールです。
貴方に会いに来ましたよ』って。
そしてオレが来たことをただ示すために、しばらくそこに座っているのさ」

時は過ぎ
ある日とうとう教会の玄関からポールがいなくなりました。
N婦人は最悪のことを想定しながらも、ポールを探しました。
ポールはある病院にいました。
治療用のチューブで覆われ、顔色は灰色で青ざめていました。
“今にも”という状態だったそうです。
翌日、N婦人は再び病院を訪れました。
するとポールはベッドの上でまっすぐに腰かけて、N婦人を明るく迎えたのでした。

驚いたN婦人はポールに何があったのかを尋ねました。

「そうだね、すべては今朝起こったことなんだ。
オレは全く気分がすぐれなかった。
すると突然誰かが入ってきて、ベッドの足もとに立つのを見たんだ。
彼はハンサムだった。
とてもハンサムだったよ。
そして
彼はこう言ったんだ。

『ポール!私だ、イエスだ。キミに会いに来たよ!』」


・・・このエピソードは、私の大切にしている本の一冊『メジュゴリエの証言者たち』に載っていたものです。

こういうお話を信じようと信じまいと、自由です。
普通に考えれば、かなり“眉つば”なお話ではありますし。
ただここで大切なのは、祈りも知らないし居眠りさえするポールという男が、毎日イエス様に会いに行った(これを『聖体訪問』といいます)という事実です。


「キリスト教の愛とは『割く』ことである」とは
神言会司祭・西経一神父様のことばです。
身を割く。
時間を割く。
お金を割く。
貴方の大切な存在の為に、貴方自身を『割く』ことだ、と。

であるなら
先のエピソードでのポールは、自身の思いを割き、時間を割いたことに他なりません。
疑うのではなく、ただ純粋な子どものような気持ちでイエスを思ったに違いないのです。

西神父様はこうも仰います。
「日曜日のミサ中に居眠りしたとしても良いじゃないか。
貴方はすでに神様の為に、日曜の貴重な寝坊の時間を割き、教会へ来るための交通費を割いているのだから」

・・・たしかに。
信者にとっての苦痛は
ミサに与ることではなくて、日曜の朝に寝坊もせず、教会へ出向くことだったりするんです。


・・・よぉ~し。
じゃこれからはミサに与るときは、『マイ枕』持参で行きましょか♪

「オマエ、まぁたバカなこと言ってると許さんぞ!」
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by dscorp-japan | 2010-03-21 04:14 | キリスト教 | Comments(0)
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
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