D’s(ディーズ)さんのぶろぐ

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ある神父様の病床での話。

今から20年以上前、私が大学生だった頃の話です。

あるカトリック司祭が末期がんの為に入院されていました。
その神父様とは、2~3度挨拶を交わしただけの間柄だったのですが、何故かお見舞いに行こうと思い立ち、病院に伺いました。
今でも覚えています。
その神父様は、4人部屋の窓際のベッドで横たわっていらっしゃいました。
点滴やら何やらの管が、神父様の身体にたくさん繋がれていました。
顔は土色で、お元気だった頃の面影は微塵もありませんでした。

こんにちは、と声をかけました。

「ああ、君か」
・・・おそらく私のことなど覚えているはずないのです。
きっと神父様は、朦朧とした意識の中でどなたかと勘違いされたに違いないのでした。

お身体、いかがですか。

「苦しいよ、本当に苦しい」

神父様は激しく顔をしかめて、さも辛そうに答えられました。
その目には、もうすでに涙が浮かんでいました。

「神父の最期なんてこんなもんだ。
私は延命など要らないと言い続けているのに、信者たちは『そんなこと言わないで』と言う。
こうなってまで私は信者たちの為に頑張らなきゃならんのかと思う。
この、鬱陶しい管を見なさい。
私はこの歳になってまで、まだ奴隷のように苦しめられるのか」

・・・この神父様は何を言い出すんだろう、と思いました。
自分は聞いてはいけないことを聞いてしまったようにも思いました。
とりあえず私に出来たことは、彼の涙を拭ってあげることだけでした。

「君になら分かるだろう?」

そう言うと、神父様はホウキの柄ほどの腕を延ばして、私の服をつかみました。
その肌の色までも、ホウキの柄みたいに黒ずんでいました。

「なぁ」
神父様はまだ涙声でした。

「内緒でこの管を抜いてくれないか。
そして、もうそろそろ私を解放してはもらえないか」

そして私の服をつかんだ手を微かに揺らしながら
死なせてくれ、死なせてくれ
と、呪文のように繰り返すのでした・・・。

・・・正直に言うと、私自身この後自分がどうしたのか、記憶が定かでないのです。
いや、勿論点滴を抜いたりはしていません。
だた、この後どういう受け答えをしたのか、どうやってその場を去ったのか覚えていないんです。

その神父様は、そのしばらくの後に亡くなられたと聞きました。

あのとき神父様が吐いた弱音は、宗教者として聖職者として、相応しくなかったのでしょうか。
私はそうは思いません、今なら。
たしかに、若かった私に対して話すことではなかったと思います。
しかし神父様は、それほどまでに苦しかったのでしょう。
あのとき、神父様の我慢は確かに限界だったのでしょう。

               ♢

昨日、本多孝好さんの『MOMENT』という本を読み終えました。
最後のエピソードで、延命治療を取り上げた物語が書かれていました。
医学が発達したために人間の寿命は延びたが、その延びた分が果たして本当に「生きている」と言える状態なのかというテーマです。
そして物語では、ある医師が患者の同意の上で密かに『安楽死』を与えているというお話です。

実際の事件でもこうしたお話があったかと思います。
人間が苦痛を伴ってまで生き長らえることが、果たして義務なのか。
或いはそれが善なのか。

私はもっと自然に生き、自然に死にたいものだなァと思うんです。

最終的には、自分がその立場にならないと分からないのかもしれませんがね・・・。
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by dscorp-japan | 2010-03-15 22:24 | あったこと | Comments(2)
Commented by 西先生の元教え子 at 2010-03-21 01:37 x
3月11日の記事に先ほどコメントさせていただいた後、図々しくもほかの記事もサーフィンしていてこの記事に当たりました。延命措置、安楽死。自然にしておいて息絶えることを「天寿を全うする」というのだとすると、このふたつのことはそれぞれ対極にあるように見えますが、結局は死に行く人、あるいはその周りの人に必要以上の苦痛、苦悶をあたえるという点では同じことなのかもしれません。
そして、神父様という立場は、このような苦しみさえも甘んじなければならないのかと仰ったというご本人の気持ち、「正しいクリスチャン」的には十字架の主を思えば・・ということになるのかどうか分かりませんが、弱い人間である私たちには苦しみは苦しみなのだと思うと、なんだか他人事とは思えなくなります。
Commented by dscorp-japan at 2010-03-21 03:10
☀西先生の元教え子さん。
私はこの神父様(フランシスコ会の神父様でした)のおっしゃったことを考えるとき、十字架上でのイエス様の言葉を思いだします。
“エリ、エリ、ラバ、サバクタニ”
「私の神、私の神、どうして私を見捨てられるのか」
・・・イエス様でさえ、自分の使命を全うするなかでこう仰いました。
しかし、だからこそ神様の豊かな愛があると思います。
人はしばしば“躓く”生き物です。
躓いてもいいんです。
しかし、躓いてもなお、神様の愛に“立ち返る”ことこそが大切なのだと。

・・・西先生もまた、よくそういうことを仰いますよ♪
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


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