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『許し』と『赦し』

日曜日だし、“たまには”キリスト教のことも考えましょうか(←“たまには”ってどうなのよ・・・)

キリスト教では『赦し』という言葉を使います。
『許し』じゃなくて『赦し』。
声に出してみると何ら違いはないのですが、その意味するところが大きく違います。

『許し』は許可の『許』。
『赦し』は容赦の『赦』。

・・・こう書くとそのニュアンスが伝わるのではないでしょうか。

『許し』なら
「アナタの罪を許可します」となります。
対して『赦し』なら
「アナタの罪を容赦します」となります。
許可はしないけれど、(仕方なく)容赦しましょう、というニュアンスです。

私は、キリスト教が『赦し』という言葉を大切にするところが好きなんです。

小さい頃、よく親にこう言って叱られました。
「アンタは同じことを何回繰り返せば気が済むの?」
・・・でも、これまでの自分を思い返してみると、これは40代も半ばの私にでさえ当てはまる言葉です。
人間、いくつになっても同じ失敗を何度も繰り返し、同じ罪を重ねる生き物なのではないでしょうか。

では、私たち人間が繰り返す愚行を『赦す』ものは何でしょうか。
それが「愛」だと、キリスト教は言うのです。
普通ならサジを投げたくなるほど呆れんばかりの愚かな私たちを、何度も何度も『赦す』神様。
そこには私たちには計り知れないほどの深い愛があるからこそだというのです。

今、カトリック教会では四旬節という暦の時期です。
この時期、私たちは自分の罪を省みて、今一度自分たちの生き方を考えることを勧められます。
そして私たちは、自分たちに常に注がれている神様の無限の愛を再認識するのです。

・・・心の中でだけでも「ゴメンナサイ」してみましょうか・・・
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by dscorp-japan | 2010-03-14 23:55 | キリスト教 | Comments(2)
Commented by もりもり at 2010-03-15 01:47 x
 やあ、こんばんわ

 今日のあなたの書き込みはとても好い。僕が今日説教として話した内容と同じです。今日の福音朗読箇所はいわゆる「放蕩息子の喩え、またの表現で「いなくなった息子の喩え」でした。でも戻る場所を心の隅に置いていたのしょうが、人は弱い、戻ってもまた出て行くしまた戻りそんな繰り返し、でもそれが出来るのはいつも戻る場所を知っているからだろうと思います。

 どげんかね、まじめに書き込みしたしたばってんよかろうが。
Commented by dscorp-japan at 2010-03-15 02:04
☀もりもりさん。
やあ、こんばんわ

お返ししましょう(笑)
今日のあなたのコメントはとても好い。

・・・もりもりさんも、たまにはまじめに書き込みしよるばってん、いっつもそうすればよかろうが。
line

これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
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