D’s(ディーズ)さんのぶろぐ

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ファーストコンタクト

 
お葬式のご依頼をいただくと
私たちが最初にお手伝いさせていただくお仕事の流れは
「病院や施設へのお迎え~搬送~送り先への安置~葬儀の打ち合わせ」
というのが一般的です。
私たちがご遺族様とはじめて直接お会いするのは
ご自宅か、ご指定いただいた病院や施設の一室や霊安室ということになります。

もう何十年もこのお仕事をさせていただいておりますが
やはりご遺族様とのファーストコンタクトって、今でも緊張するものです。

でもね
私たち以上に、ご遺族の皆様の方がずっと緊張されていらっしゃるんだと思うんですよね。
ただでさえ、大切な方を亡くされた直後です。
神経の張りつめた状況にあって
そこへきて、初めて会う葬儀屋さんがどんな人なのか。

(若い人なのかな。ベテランさんかな)
(コワい感じの人だったらイヤだな)
(安心して任せられる人だといいな)

つまりこのファーストコンタクトの瞬間は
ご遺族様と葬儀屋さん双方が緊張感の中でお会いするわけなんですよね。
お互いがお互いを、どんな人間なんだろうかと心配する瞬間ということです。

どんなお仕事でもそうなのでしょうが
私たち葬儀屋さんはこのファーストコンタクトでの応対を、とても大切にします。
いかにして、ご遺族様に自分という人間を受け入れていただけるかが、その後の流れを大きく左右しかねないからです。
お葬式を成功させるか否かの要因のひとつに
「担当者が、どれだけご遺族様と信頼関係を築けるか」というのがあります。


・・・で。
これはお客様サイドにとっても重要なことでして
「故人の家族として、どれだけ葬儀屋さんに “ やる気 ” をおこさせられるか」
というのも、実はあったりするんですね・・・

では、どうすればいいのか。

・・・って、別に何かをすべきということでは無いんです。
そこに、亡くなられた方を大切にしているという「思い」があれば充分なんです。
その「思い」の表現の仕方はそれぞれでしょう。
でも私たちも一応、お葬式の「プロ」です。
お客様がどのような態度であれ
経験則から、ご家族の、亡くなられた方を思う気持ちを感じ取るアンテナは持っております。
そこに「思い」さえあれば、私たちは
(よし、この方の為に精一杯お手伝いしよう!)
と、必ず考えます。
(そう思わない担当者は葬儀屋さん失格!)

以前にもここで書きましたが
良いお葬式にする手段のひとつに
「葬儀屋さんを、お客様の手のひらに乗せて踊らせる」
というのがあります。

・・・要は
葬儀屋さんを “ その気にさせる ” ということです。
それさえできれば
その葬儀屋さんはお客様のため、必死になってお手伝いしてくれるに違いないのです。






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# by dscorp-japan | 2017-09-16 18:23 | 葬儀 | Comments(1)

百歳の洗礼式

 
今日、お手伝いを終えたお葬式
お亡くなりになられたのは、御年104歳の女性の方でした。


元々ご本人はクリスチャンではなかったのですが
その方が幼少の頃(つまり約100年近く前)、当時お住まいだった(現在の)長崎県五島市
で、何があるでもなく教会に行っていらっしゃったそうです。
何もわからないまま、ただ「主の祈り」を唱えていらっしゃったそうです。
それでも
カトリックの洗礼は受けないまま名古屋の地に移り住み
ライフワークとして短歌を詠まれ、地域紙では短歌の選者としてその才を発揮されていらっしゃったということです。

時は移って今から四年前
ご本人が100歳を迎えたとき、ご本人が「カトリックの洗礼を受けたい」ということで、ご自宅に程近い教会で洗礼を受けられました。
私の手元に洗礼式の写真があるのですが
ご本人は車椅子に座りながらも、喜びにあふれた表情で写っていらっしゃいます。


・・・凄いなァと思うんです。

おそらく幼少の頃の思いを
約100年もの間ずっと、胸に秘め続けて
ご自身が100歳を迎えたときに受洗の意思を示されたのです。

そして
ご本人はそのときの思いを謳っていらっしゃいました。

『受洗して 清められたり 我が胸も』

『一日を 神につかへし 心豊か』

『神父様に 握手いただき 胸ふるえ』

『教会の 祭壇麗し 天国か』


これを受けて
洗礼を授けられた神父様が返歌されました。

『百歳で 神の子になり 目に涙』

『百歳を 生きてなおかつ 神求め』

『神様の 秘めた計らい 今気づき』

『人生は 神の国への 一里塚』


・・・ただただ
神様の計らいに思いを馳せる思いでした。





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# by dscorp-japan | 2017-09-11 16:21 | キリスト教 | Comments(4)

まぁいっか

 
ずっと記事更新もサボっておりました ^^;
お葬式の担当もさることながら
夏バテ & 親の面倒見などで(まぁいっか)と、ブログのことを頭から追い出しておりました。
ようやくお葬式のご依頼が止まった感じなので
久しぶりに自分のブログサイトを開いてみた次第であります。
(コメントへの返信が遅れまして申し訳ありません m(_ _)m )


どこかで読んだんですけれど
血液型がO型の人間の口ぐせが「まぁいっか」なんだそうです。
私は血液型診断みたいなの、全く信用していないんですけれど
たしかに私はO型で、考え方には常に「まぁいっか」があるのはたしかです。
でも
同じO型の父や弟は「まぁいっか」な人じゃないんですけどね~


自分で自分のことを考えてみても
私という人間の根本にあるのは「なるようになる」とか「まぁいっか」とか
基本的にダラァ~ッとした考え方があるんだと思います。
キライは言葉は「努力」と「頑張る」だし
人との付き合い方も「来る者は拒まず、去る者は追わず」だし
以前の記事でも書きましたが
「無いなら無いなりに」何とかなるわサ、というスタンスです。

つまり
基本はダメ人間だということですわ ♪
・・・って
記事更新をサボった言い訳にもならないんですけどね~


まぁいっか。
マイペースで、細々とやるようにしますわ。





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# by dscorp-japan | 2017-09-06 17:27 | 思うに・・・ | Comments(4)

ローマ教皇庁の掲げる指針について思う:追記

 
8月21日の記事について
私の永年の友人である牧政さんより、貴重なご指摘をいただきました。

結論から申しますと
昨年にローマ教皇庁が発表した、火葬・埋葬に関する指針を受けて
日本のカトリック司教団は、日本における葬送文化の実態を考慮して、本指針の『日本の教会への適応』について定めたのだそうです。

情報ソースのリンクを貼っておきますので、ご一読ください。

教皇庁教理省、死者の埋葬および火葬の場合の遺灰の保管に関する指針

教皇庁教理省『死者の埋葬および火葬の場合の遺灰の保管に関する指針』の
  日本の教会での適応について

上記にある通り
ローマ教皇庁の打ち出した指針について
日本のカトリック教会は、独自のガイドラインを設けたということです。



キリスト教専門の葬儀屋さんとして
先日の記事掲載は甚だ軽率でありました。
細かい裏付けも確認せずに記事掲載してしまい
無用なご心配をおかけいたしましたこと、心よりお詫び申し上げます。







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# by dscorp-japan | 2017-08-26 23:02 | キリスト教 | Comments(4)

ローマ教皇庁の掲げる指針について思う

 
もう一年ほど前のニュースなのですが・・・

 → ローマ法王庁、火葬の新指針を発表 散骨や自宅保管は認めず

※ カトリック教会側の意向として
 「法王」ではなく「教皇」という表現を推奨しております。
  よってここでも「法王庁」ではなく「教皇庁」とします。


記事にあるように
教皇庁は「火葬後の遺灰(或いは遺骨)を海にまいたり自宅に置いたりしてはいけない」
と規定したというわけです。
他にも
「遺灰を親族の間で分ける(≒分骨)」
「遺品やジュエリーなどに入れるなどして保管する」
といったことも認めないとあります。

・・・う~ん。
特に火葬国である日本のカトリック信者にとっては、なかなかハードルの高いお話かとは思われますよね・・・
ただでさえ火葬が前提の国で
特に西日本エリアでは、遺骨の一部をお骨上げして、残りの遺骨は火葬場に任せるという「部分収骨」が一般的だったりします(もちろん事前に申し出れば、すべての遺骨をお骨上げすることは可能です)。


結局のところ
教皇庁の掲げる指針について、私たちはそこにある根源的な意味を理解する必要があるのではないかと思うんですね。
それはつまり
カトリック教会教義の根本にある「復活」という信仰です。


「信仰宣言(使徒信条)」という祈りの最後、私たちはこう唱えます。

「聖霊を信じ、聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのちを信じます」

カトリック教会では
たとえ亡くなった後においても、その亡骸(ご遺体)もまたその人の人格の一部として重んじます。
何故なら
「終わりの日に復活するとき、その人は肉体をともなって復活する」とされるからです。
ですから
カトリックのお葬式の典礼には「遺体への崇敬」という項目があるんですね。
ご遺体とは、或いは遺骨もまた、そういう存在なのだということです。


※ ここからは、あくまでも私個人の見解です。

では何故
「散骨」や「宇宙葬」や「自宅安置」や「分骨」や「ジュエリー加工」がいけないのかと考えたとき
それを行う当事者たち(特にご遺族)の思いに「死者への尊厳」という認識がしっかりと根付いているのかどうかという一点に集約されるということなのではないかと思うんです。
「何故そうするのか」という、その根拠が大切なのだと。

「火葬したあとの遺骨の処遇に困る」
「納骨が面倒だから自宅に置く」
であってはならないのだ、と。

ですからたとえば
「亡くなった、愛する人と離れ難い」という思いで遺骨を自宅に安置するのなら、その意味合いは変わってくるのではないかと。
「自宅の片隅に小さな祭壇を設けて、そこに遺骨を安置して、毎日その前で死者のために祈る」
それならば認められてもいいのではないかと思うところなんですが。

終わりの日、神様が私たちを復活させて下さるとき
「遺骨のすべてが一箇所に集まっていないと復活させられない」ということではないのではないかと思うんです。
ニュース記事にもこうありますよね。
神がその全能性において遺体に新たな生命を与える妨げにはならない」
ただ
亡くなった後もなお、その「身体」であるところの遺骨もまた「その人の人格の一部である」ことには変わりないのだという認識は忘れてはならないのだ、と。
たとえそれが、遺骨のほんのひとかけらであっても。


私は常々
「人間の尊厳」という言葉を強く意識します。
特にお葬式に携わるとき、その思いを強く持とうと心がけます。
当然この「人間の尊厳」は死者にも当てはまることであり
亡くなられた方のご遺体に対してもまた「死者の尊厳」が大切にされるべきだと。

そしてその「思い」こそが
終わりの日、神様の計らいに適うことなのではないかと思うのです。


※ 追記
 本記事を掲載後
 ある神父様より、記事内容に補足説明が必要だと指摘されました。
 あらためてその記事を掲載しておりますので
 こちらをご覧いただければと思います。






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# by dscorp-japan | 2017-08-21 19:22 | キリスト教 | Comments(4)

ロボット導師、ですか

 
「ご導師、ご入場でございます。
本日読経を賜りますのは、真宗大谷派・Pepper導師様です。
ご参列の皆様方におかれましては、御低頭の上お迎えくださいませ」

・・・とか、開式のときにアナウンスされるのかなァ ^^;


   → ニュース記事はコチラ


・・・このニュース記事のタイトルを見て
ピンクレディーのデビュー曲を思い出したのは私だけ? ^^;
一方で
コンセプトの元ネタが『ロボット刑事K』じゃないかと疑ったのも私だけ? ^^;

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冗談はこのあたりでおしまい m(_ _)m



大切な方を亡くされたご家族それぞれ、様々なご事情がお有りかと思います。
ニュース記事にもありますように
菩提寺の無い方や檀家制度にとらわれたくない方など、たしかにいらっしゃることでしょう。

しかし、そこでいきなりPepper君が導師、ですか。
“ 彼 ”のアノ声で、ですか?


「お葬式の多様化」は、もはや変えることのできない潮流なのでしょう。
私もさまざまなお葬式の様式があって良いと思いますし
今後さらに、これまでの形式にとらわれない形で送りたい(或いは送られたい)というニーズも増えていくことなのでしょうね。

私は今回のニュースにある新しい提案を、完全に否定するつもりはありません。
そこにたしかなニーズがあるのであれば
その存在価値もまた有るということなのでしょうから。
でも、私が古い人間だからなのでしょうか
どうしても違和感を拭い去ることが出来ない思いがあります・・・


現在の私はキリスト教専門の葬儀屋さんですから
仏教のご住職やお上人様の読経や説法をお聞きする機会は殆どありません。
あるとすれば、知人やお世話になった方のお葬式に参列したときくらい。
とはいえ
これでも一応、約1000件あまりの仏式葬儀をお手伝いしてきた人間です。
そういう立場からすると
お葬式の際、ご導師が唱えられる読経や説法を拝聴するときは
(このご住職の読経は美しいなァ)
とか
(このご住職は本当に心をこめてお勤めいただいているなァ)
とか
(なるほど、故人やご家族のことをよく考えた説法をされているなァ)
とか
比較してしまうというか、そういう視点で判断してしまうところがあります。


私が現場で受ける印象がご遺族のそれと同じかは分かりませんが
司式者としてのご導師によって、そのお葬式に対する評価が大きく左右されるところだと思うわけです。

たとえ、ですよ?
どんなダメ葬儀屋さんのお手伝いだろうと、祭壇が汚れていようと
(もちろんそれはそれで絶対ダメなんですけど)
ご導師の素晴らしい読経や説法ひとつで、そのお葬式は一気に素晴らしいお葬式に変わるものなんです。

これだけは間違いない。
それだけ
お葬式を司る立場のご導師の存在って、大きいと思うんです。


・・・そこにPepper導師が来るんですか。
う~ん ^^;


ニュース記事では
「ちゃんと人間の副住職がいる」そうじゃないですか。
だったら
わざわざPepper君に読経させるのではなく、副住職が導師をした方が良いんじゃないの?とか思っちゃいますよね。

「副住職は住職ではない!」

じゃPepper君は住職なんですか?


なんだかよく分からないなぁ・・・






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# by dscorp-japan | 2017-08-17 00:00 | 葬儀 | Comments(2)

ポストモダン・ジュークボックスの音楽

 
皆様はお盆休み、いかがお過ごしでいらっしゃいますでしょうか。
私はと申しますと
すでにお盆中のご葬儀をご依頼いただいておりまして、お休みはナシな感じ ^^;
ですからせめて
好きな音楽を聴きながら過ごすのであります。
今回はたくさんの音楽をご紹介いたしますので
お時間のある方はどうぞお付き合いくださいまし m(_ _)m

            ♢

さて。
寡聞にして、私はつい最近までこの『 Postmodern Jukebox 』のことを存じ上げませんでした。

・・・えっと
私がこの音楽ユニットのことを知ったきっかけは、恥ずかしながらBABYMETALの『ギミチョコ!』のカヴァーです (^^ゞ
そのカヴァ―・ヴァ―ジョンというのがこちらです。



因みに、原曲はこちら。




とってもユニークなアプローチでしたので、おおいに興味をそそられた次第。

私は
ジャズとか
フュージョンとか
ブルーグラスとか
オールディーズとか
ドゥーワップとか
チャールストンとか
とにかく、そういう類の音楽には全く疎いのですが
・・・でも嫌いじゃない ♪

ということで
この音楽ユニットがYouTubeにアップしている公式チャンネルを見てみると・・・

・・・あるわあるわ!
いろんなジャンルの音楽のカヴァー・ヴァージョンが!
とにかくとっても面白いので、いくつかご紹介させていただきます。


まずはドリー・パートンの『 Jolene 』。
日本ではオリビア・ニュートンジョンのヴァージョンが有名ですね。


(原曲はコチラ。ついでにオリビア・ヴァージョンがコチラ


次は
私の大好きなポリスの『 Roxanne 』。


(原曲はコチラ



ハードロックバンド:ガンズ&ローゼスの『 Welcome To The Jungle 』。


(原曲はコチラ

次。
マドンナの『 Material Girl 』。


(原曲はコチラ


・・・えっと、もう飽きちゃいました? (^^ゞ


次、カーディガンズの名曲『 Lovefool 』。


(原曲はコチラ


次は
映画『タイタニック』のテーマ曲『 My Heart Will Go On 』。
異なるヴァージョンがあるので、お聴き比べください。







(原曲はコチラ


次、ボン・ジョヴィの『 You Give Love A Bad Name 』。


(原曲はコチラ


・・・いい加減、飽きてきましたでしょうかね~ ^^;
ホントはもっとたくさんご紹介したいんですけれど、この辺で最後の一曲にしときます。


個人的にいちばん好きだったのが
リック・アストリーの『 Never Gonna Give You Up 』。
これは良い ♪


(原曲はコチラ

このガンヒルド・カーリングさんという方、恐ろしい才能ですよね!
素晴らしいヴォーカルの直後に
リコーダーやらトロンボーンやら、バグパイプを吹きこなすって・・・(驚)
実際にやってみりゃ分かりますけれど
相当の安定した肺活量がなければ、こんな風に演奏できるわけがないんです!
多分
いや、間違いなく「天才」です!

            ♢

・・・さて。
公式チャンネルを検索されれば
このほかにもたくさん、いろんな曲が楽しいアレンジで聴けます ♪


・・・あらためて、つくづく思うんですよ。
もちろん作詞や作曲も大切なんでしょうけれど
音楽って、楽曲のアプローチというかアレンジによって、その表情も大きく変わってくるんですよね~
アレンジひとつで、良くも悪くもなるというか。

ついでに申しますと
この音楽ユニットがBABYMETALの音楽を取り上げたというのも驚きです。
日本の楽曲として取り上げられているのは『ギミチョコ!』だけ。
それだけBABYMETALが、海外で注目されているということなのでしょうね ♪


・・・ということで、このお盆休み
『 ポストモダン・ジュークボックス 』の音楽が、皆様の一服の清涼剤になりますように。






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# by dscorp-japan | 2017-08-13 00:00 | 音楽 | Comments(4)

平和旬間中の24時間聖体礼拝

 
先日の記事でも申しましたように
現在日本のカトリック教会では、8月6日~15日までの十日間を『日本カトリック平和旬間』と定めて、特に平和について考え、また祈ることが推奨されています。

これにあわせて
カトリック名古屋教区では、名古屋市東区にある『カトリック主税町教会』の記念聖堂において、24時間×10日間の聖体礼拝が行われております。
この期間の毎日
午前十時からは「平和を祈るロザリオの祈り」
午後三時からは「平和を祈る主のいつくしみの祈り」
午後七時からは「平和を祈るミサ」
が行われております。

そして現在
カトリック主税町教会・記念聖堂の祭壇に安置された「聖体顕示台」が、YouTubeでライブ・ストリーミングで配信されております。

午後七時からはミサが行われる様子も視られます。

→ https://www.youtube.com/watch?v=gI64RcpkZNo

ミサ祭壇の中央に安置されているのが聖体顕示台です。
たとえこの場所に行かれなくとも
一緒にミサに与る思いで祈ることが出来るということです。


よろしければ
祈りの助けとしてご覧いただければと思います。







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# by dscorp-japan | 2017-08-11 17:50 | キリスト教 | Comments(2)

雑誌『AERA』8月7日号を読んで

 
娯楽小説一辺倒の私ですから
『AERA』なんて雑誌、滅多に手に取らないんですが・・・


表紙にこんな文言が謳われてると、そりゃさすがに手に取りますわね~

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・・・やっぱ要りませんか、お葬式 ^^;


「お葬式はもういらない」という表現から
名(迷)著『葬式は、要らない』を上梓された“アノ人”からケンカを売られたような気持ちで、仕方なくレジに持っていきましたよ。

(売られたケンカだもんなァ、受けて立つしかないかぁ~)

・・・で、読んでみたらやっぱり!
アノ人のコラム記事も載ってました・・・^^;


表紙には「大特集」とありますが
読んでみると、それほど「大」でもありませんでした(笑)
個人的な印象ではむしろ「小特集」くらいです。
もっといろんな情報が詰まっていると思っていたんですが。

それぞれの表題には、なかなかインパクトがあります。

「古い葬式よ さようなら」
「仏教ビッグバン」
「価格破壊のお葬式」
「お坊さん便も定着」
「葬儀も明るく個性的に」
「色鮮やかなLED仏」・・・

(ご興味のお有りの方は書店にGO!)

でも敢えて申しますが
正直、あまり有益な情報が書かれているとは思われませんでした。
仏教が岐路に立たされていて、様々な打開策を模索(&実践)されているというお話は興味深く拝読させていただきましたが
それ以外の記事に目新しいものは無かったと思います。


ホントはいろんな項目の記事に反論したいことが山ほどあるんですけれど
今回は敢えて、特集内にあった、例のアノ方のコラム記事にだけモノ申させていただきます (^^ゞ

            ↓

「0葬」唱える島田裕己さんが語るお葬式『大往生』で亡くなった人は葬儀ではなく、お祝いを


「お祝い」という単語を用いること自体は構いません。
でも、じゃ大往生されたご本人の為に
遺されたご家族はお葬式の代わりに、一体何をすればいいんでしょう?
「葬儀ではなくお祝いを」と仰る以上
お葬式とは異なる、何か具体的な提案があるのかといえば何もないし。

そしてご本人のご希望である「卒人式」。
ご本人による造語ありきのご提案としか思えないのですが・・・^^;
「人間を無事に終わりましたと、お祝いをしてもらう」って
やはりこの場合も、遺されたご家族やご友人は具体的にどのように「卒人式」すればいいのでしょう?

・・・何となくですが
仰っているイメージは「無宗教葬」や「お別れ会」と何ら変わらないと思うのですが。



実際にお葬式の現場に立つ人間として申します。
奇をてらう必要などなくとも
これまで通りのお葬式でも「お祝い」することは出来ます。
事実、これまで故人様を「お祝い」するお葬式を何度もお手伝いしてきております。
それが「卒人式」かどうかは分かりませんけれど
大切な人の「大往生」に際して、やはりその死を悼みながらも

「長らくお疲れさまでした」
「これまで本当にありがとう」
「今日は笑顔で『さようなら』だね!」

泣き笑いの顔で
最後には「よかったよかった」とご遺族が口々に語りあうお葬式を、私は十分「お祝い」と言えると思います。


さらに申しますと
どれだけ「大往生」だろうと「お祝い」だろうと
「大切な人が亡くなった」という現実の前に、人はやはり厳粛な思いになるものだと思いますし、またその思いを忘れてはいけないのだと思います。

お葬式のカタチに捕らわれる必要はありません。
でも
「お葬式」という名称を変えたところで
或いはそこで行われる式の内容が大きく変わったところで
(たとえそこでケーキカットをしようがクラッカーを鳴らそうが)
そこに集うご家族や友人知人の「思い」は何も変わることなどないのです。


私は
大切な人が亡くなって、故人と交わりのあった方々が時間を割いて故人の元に集った時点で、それはすでに「お葬式」だと思っております。
何故なら
「お葬式」とは、人の「思い」だからです。






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# by dscorp-japan | 2017-08-06 00:00 | 葬儀 | Comments(8)

8月6日の『聖書と典礼』より

 
1981年、当時の教皇:ヨハネ・パウロⅡ世が来日されて以降
日本のカトリック教会は、毎年8月6日~15日までの10日間を『日本カトリック平和旬間』と定めて、特に平和について各自が考え、また祈ることを推奨しています。
つまり
今日からの10日間はそういう「時」であるということです。


先ほど
私の所属するカトリック布池教会の夕方のミサに与ってきました。
ミサというのは平日にも行われるのですが
特に主日(日曜日)のミサにあたっては『聖書と典礼』というリーフレットが用意され
ミサに与る信徒たちは、この『聖書と典礼』に掲載される聖書の箇所や祈祷文を用いて祈ります。

で、今週の『聖書と典礼』のコラムに
カトリック名古屋教区長:ミカエル松浦悟郎司教様の文章が掲載されていましたので、今日はこの文章を転載させていただきます。


今、選択のときー「日本カトリック平和旬間」

今、世界も日本も危機的状況の中にあります。自国中心主義が広がり、極右勢力の台頭による難民、移住者への排斥、また紛争やテロが頻発するなど、世界全体が暴力的になりつつあります。その背景には、想像を絶する富の格差(上位八人の大富豪と下位三重六億人の総資産が同じ)があり、またそこへ軍需産業の利権がからむなど、歯止めが効かなくなってきています。
残念ながら、日本はその流れのなかに組み込まれるというより、積極的にその傾向へと突き進んでいます。多くの人が「ぼんやり」させられているうちに、日本政府は平和憲法の精神無視して軍事力一辺倒の政策で突き進んでおり、市民への監視、情報コントロールを強力に進めてきています。国連特別報告者が「メディアの公平性や独立性」「プライバシーや表現の自由」について数次にわたって強い懸念を表明していることは記憶に新しいところです。
こうした現実の中、ヨハネ・パウロ二世の広島での平和メッセージが今、現実味を帯びてきています。「各国で、数多くのより強力で進歩した兵器が造られ、戦争への準備が絶え間なく進められています。それは、戦争の準備をしたいという意欲があるということであり、準備が整うということは戦争開始が可能だということを意味し、さらにそれは、ある時、どこかで、何らかの形で、誰かが世界破壊の恐るべきメカニズムを発動させるという危険をおかすということです」(広島『平和アピール』1981年2月25日)と。このメッセージから36年経ち、教皇フランシスコは世界が「散発的な世界大戦」(2017年「世界平和の日」メッセージ)に入っていると指摘しています。今、方向を変えないと世界は大変な状態になっていくことでしょう。
この現実の中に教会は派遣されています。私たちを派遣し、共に歩んでいるキリストはどこに向かって歩めと呼びかけているのでしょうか。その声を聴きつつ現実を直視し、流れに身を任せるのではなく、自覚し、決意し、平和を選び取っていきたいものです。個人として、教会として。



・・・皆様それぞれ、様々なお考えがおありのことでしょう。
それはそれでいいと思います。
大切なことは
私たち一人ひとりが真剣に「考えること」なのではないでしょうか。
この十日間、私も私なりに考えていきたいと思います。






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# by dscorp-japan | 2017-08-05 23:23 | キリスト教 | Comments(4)
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これでも葬儀屋さんのブログなのだ


by dysmas
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